7月に新居に引っ越し
しばらくはポジティブ思考で過ごせていましたが、
国際便が再開する見込みも付かず、
仕事ではコロナ・ウイルス予防の為に
3月下旬から全校閉鎖が続いていて、
「子供たちと国の将来の為にも、
必要な対処を取りつつ学校を徐々に再校しましょう」
という我々のアドボカシー活動にも拘わらず
開校の見込みも立たず、
モザンビークの子ども達の教育の為にと思って頑張っても、
まるで潮に逆らって泳いでいる様で
努力するだけ非難され疲れるだけ。(-_-
下手すると「モザンビークの子ども達の健康を危険にさらすな!」
という脅迫状が送られて来そうで、
精神的にも疲弊してしまいました。
それに加え、3月からずっと二人きりの生活が続いたせいか、
もしくはそういうお年頃なのか、
8月位からジュリアが反抗的になってきて、
「手を洗いなさい」と言うと「やだ」と拒否したり、
私が夜仕事メールをしていると
「ママは携帯電話ばかりで、
ジュリアの言う事を何も聞いていない!」と
駄々をこねたりして、私のストレス・レベルは上がる一方。
漸くジュリアが通う学校が例外的に二部制授業で開校した時は、
ジュリアは数日前から
「明日から学校行けるの?」とソワソワし、
いざジュリアを学校に送り出した時は、
重かった肩の荷からやっと解き放たれた解放感を
心身ともに実感しました!
やっぱり学校の存在は子どもにとっても親にとっても重要ですよ!!
さてこの間、このままじゃ燃え尽き症候群で倒れてしまうかと思い、
8月末に数日間の休暇を取りましたが、
あまりにに疲れていた為、まともに予定も立てられなかった為、
悪天候の週に近場のビーチのホテルに
閉じこもって過ごしました。
少しは休めたけれど、
あまり気分転換にはならなかったな~と後ろ髪を引かれつつ
9月・10月と乗り切った後10月末
ジュリアの学校の1週間の秋休みに合わせて一週間休暇を取り、
マプトから800キロ北上したモザンビーク中部の
Vilankulos地方にお正月以来の本格的なバケーション!
前回モザンビークに赴任している時から
Vilankulosと近辺の島々は絶景だという噂は聞いていましたが、
ここまで辿り着く機会には恵まれなかったので、今回が初体験!
早速モザンビーク航空で
マプトーヴィランキュロスの往復航空券を購入し、
ホテルも調べてちょっと高めだけど評判が良い所を予約し、
その休暇を目標にワクワク楽しみにしていました。
そしてやっと出発前日になったので、
オンライン・チェックインをしようと思って
モザンビーク航空のサイトにログインしたら、
何と我々のフライトはキャンセルになっているではありませんか!!
「これは何かの間違いに違いない」と思って
モザンビーク航空に電話をしたら、
「申し訳ありませんが、
ヴィランキュロス便はキャンセルされました。」だって。
じゃあ、もっと早く言ってくれよ~
一人&子連れで800キロの何度も警察に止められる道のりを
運転するのは問題外なので、
慌てて近場でPlan Bを探しましたが、
せっかく1週間休むのにまた近場だったら
気分転換にならないな~と思い迷っていると、
同僚から夜BBQパーティーに誘われたので、
とりあえず検索は一時停止してパーティーに行ったら、
着いた途端に
「明日からヴィランキュロスだね!準備整った?」と訊かれたので、
「それがさ~、飛行機ドタキャンになってさ~」と愚痴ったら、
その場にいた初対面の人が
「あら、じゃあヴィランキュロスの知り合いで
マプトへチャーター車送る人を知っているから、
今連絡してみようか」と言ってくれて、
トントン拍子で翌朝9時にマプトを出れる様に
迎えに来てくれる事になり、
不幸中の幸いとはまさにこの事♪
それで夜家に帰って慌てて荷造りをして
翌朝9時過ぎにヴィランキュロスに向けて出発!
10時間の道のりは景色を見たり
ジュリアと遊んだりしている内に過ぎ、
無事に辿り着いたヴィランキュロスは・・・
白い砂浜になだやかな
エメラルドグリーンの海が広がるそれこそ楽園!
そこでボートで島巡りをしてイルカの群れと遭遇したり、
初めて砂浜や海辺で乗馬をしてみたり、
葦の生い茂り多彩な川鳥が原生する川をカヌーで下り、
日の入りを見た後川辺に蛍が飛び交う幻想的な風景に見惚れたり、
「これぞ、バケーション!」と思える1週間を過ごせました♪
ちなみにこの滞在の間に知り合った人達も印象的でした。
例えば海の乗馬「ホース・サファリ」を経営する
白人ジンバブエ人一家は、
本来はジンバブエで農園を経営していましたが
ムガベ政権下に導入された
白人農家から強引に土地を取り上げる土地改革で土地を失い
104匹の馬を連れて命からがら国境を越えて
モザンビークに渡ると、
今度はモザンビーク人から馬を惨殺されるなどの
迫害を受けたそうです。
これらの試練にもめげずに25匹の生き残った馬で
ホース・サファリを始め
再び生計が立てられる様になったと思ったら、
今度はコロナの到来でまたしても困っている様です。
ちなみにジンバブエからモザンビークに逃げて来た経験を
本で出版したそうなので、機会があれば読んでみて下さい。
一方今回モザに戻ってきたら早速、
以前ボランティアしていた孤児院から「卒業」した
今20代半ばの3人娘からシスターを通して打診が。
「これからずっと借り家で暮らさないで済む様に
3人で貯金を出し合って小さな土地を買ったので、
そこに家を建てる支援をしてくれませんか」とのこと。
そこで、カナダの心ある有志の皆さんに相談したら
すぐに快諾してくれたので
マルコスと建設のおじさんと3人娘で
設計図を作って見積りを立てて、いざ工事を開始!
建設の経験など全くない3人娘達は
セメントや木材を買いに走り回り、
徐々にお家が形になっていく様子は微笑ましいです。
ただ、コロナのせいで飛行機も貨物船も規制され輸入も激減した為、
建設材料の値段も急増してしまったので、
当初の予算よりも高く掛かってしまい、困りもの。
コロナの影響はこんな所にも及んでいるのですね・・・。