様な涙々の別れを経て、
     その後到着した久々の西アフリカ。
     空港から一歩出るとイスラムの装いや、
     強引なまでの親切さ、
     開口一番に口説いて くる人懐こさ(?)、
     それに彼らの全開のパワーを感じたら、
     「あ~、やっと西アフリカに帰って来ちゃった~」
     と実感しました!

     思えば、ブルンジやモザン ビークで大変な時期も、
     最終的に西アフリカに帰って来る為の修業期間と
     自分に言い聞かせて乗り越えてきたので、
     今回の転勤は云わば夢が実現した様なもの。
     もうこのまま退職しても悔いはなし!?
     (なんて、赴任したばかりなのに・・・。)

     今回は赴任前にセネガルの首都ダカールで
     西・中央アフリカの教育会議に一週間参加してから
     改めてギニア・ビサウに赴任する事になっていたので、
     ダ カール在住のマリ時代からの親友と
     三年振りに再会し、
     彼女のお宅でお世話になりました。
     彼女は「西アフリカの開発に貢献したい」
     という志を共にする僚友 で、
     この6年私が東南部アフリカに修業に行っている間も、
     西アフリカの保健・衛生分野一筋で頑張ってきた人。
     その努力の結果、
     今では同分野では一目置かれ た存在となっていて、
     親友としても鼻高々です。
     その上、彼女は仕事だけじゃなくプライベートでも、
     この間に結婚・出産して温かい家庭を築いており、
     その可 愛すぎる赤ちゃんを見たら、
     突然私も子どもが欲しくなっちゃいました!
     それと今回ダカールに超たまたま
     ガーナ時代一の仲間のご家族がいらしていて、
     その素 敵なご家族に偶然にも壮行して頂けた形になり、
     心強くダカールからビサウに向け
     出発する事ができました。
     という訳で、ダカール出張では会議出席はさてお き、
     大事な旧友との絆の太さと家族の温かさと有難味を
     再確認できた貴重な機会となりました。

     そして、いざ赴任したギニア・ビサウ。
     赴任前はこの国がどれだけ遅れているかを
     (例えば「国が電気を供給するシステムが
     ないから各家庭が自家発電」 とか!)
     さんざん脅されてきたので、
     かなり恐る恐る来たところ・・・。
     夜着いたら、空港から町までの道は
     ブルンジとどっこいどっこいっぽく、
     「これなら2 年間大丈夫かも」と希望の光が。
     で、翌朝明るくなって改めて見たら、
     あらま、舗装された道は数本だけ、
     空き地が多く建物も古く荒廃していて、
     電気・水道も 不安定で、う~ん、
     やっぱりブジュンブラよりも小さくて貧しいかも・・・
     何しろ町一番の大通りがこの写真。
     
     「でもガーナの村に比べるとましまし」
     と独り言を言いつつ、町を歩いていると
     久々に超しつこい物乞いに困った一方、
     路上でモノを売っている質素なお じさんが
     「まあまあ、ちょっと座っていきなさい」と
     私を招いてくれてバナナやマッチをくれ、
     しまいには「娘をあなたの家族の誰かに嫁にやろう」と
     娘まで提 供(!)してくれて、
     「これまた西アフリカだな~」と
     愛し懐かしい気持ちになりました。

     で、到着翌々朝の8時に事務所に初出勤したら、
     早速8時半から教育大臣との会議、
     10時から教育セクター会合、
     午後には事務所の運営会議が入ってお り、
     文字通り座る間もなく
     赴任初日は終わってしまったのでした。
     この調子だったら、
     アッという間にこの2年間も
     過ぎてしまいそうな予感。
     その間にこの国と その人達も
     ブルンジとモザンビークと同じ位、
     好きになれます様に・・・。