4ヵ月半の快適な日本での産休を終え、
とうとう帰って来てしまいました、ビサウへ。
しかも今回は生後2ヵ月半の子連れで。

日本では家 族に支えられて、ヌクヌク産前産後を過ごし、
また主要な友達は皆遥々調布まで赤ちゃんに会いに来てくれて感激し、
久々に日本で季節の移り変りや満開の桜を 満喫し、
「日本で生活するのもやっぱりいいな~」と思えました。

同時に限られた産休の間に娘のパスポート取得や予防接種を済ますべく、
結局後半は慌ただし くなってしまい、気付くともう5月で帰任すべく成田出発。

1人で赤ちゃんを連れてまずはダカールまで乗換時間を入れて25時間の旅程。
「機内で赤ちゃんが 大泣きしたらどうしよう」とか
「耳抜きが上手くいかなくて、赤ちゃんが聴覚障害になったらどうしよう」とか、
不安な気持ちと赤ちゃんを抱え、いざ搭乗する と…。

赤ちゃんを抱いている私に、
搭乗員さん達も他の乗客も驚く程親切で、荷物は持ってくれるし、
搭乗員さん達は代わる代わる赤ちゃんをあやしてくれる し、
しまいには私がお手洗いに行く間に赤ちゃんを見ていてくれるか
搭乗員さんに訊いたら、「私はフライトの間中、
この瞬間が来るのを待ち望んでいたの よ!」
とまで言って喜んで抱いてくれました!

一方、耳抜きは昇降のタイミングに合わせて
授乳して大半大丈夫だったのですが、6回中2回は上手く行かず、
痛 がって泣く我が娘に何もできない情けなさに、
私まで涙が出てきてしまいました…。

そんなこんなでやっと到着したビサウ。
日本では私も含め、皆日本語で娘・ジュリアに話しかけていたのに、
飛行機に乗って以来搭乗員さんや他の乗客か ら英語や仏語や
(何故か)イタリア語で話しかけられ、
ジュリアはやや混乱し始めたでしょうが、
それに追い打ちを掛けるように
漸く会えたパパには突然ポルト ガル語で話され、
こちらに着いた途端にママも人が変わった様に違う言語を話し始め、
ジュリアの頭の中は恐らくパニック状態でしょう…。

更にそんなジュリア ちゃんを待ち受けていたのは、
「日本人とカーボベルデ人のハーフって一体どんな子?」
と興味津々の友人や同僚や隣人達。

ジュリアを見た途端、「想像以上に 日本人ぽいねえ」とか
「いや、やっぱりカーボベルデの赤ちゃんだよ」と議論を始め、
かと思えば「あら、思ったより可愛いじゃない」
と失礼な事を言う人まで いたりして。

そんな風に赤ちゃんを見に来る人の反応を見るのは結構面白く、
気難しいおじさんや意地悪なおばさんがジュリアを見た途端に、
「まあ、お姫ちゃ ま~、お元気でちゅか~」などと赤ちゃん言葉になって、
必死でジュリアを笑わそうと芸をしてくれたりして、
可笑しいやら微笑ましいやら!人は見かけによら ないものですね~。

一方、到着翌日から職場復帰。
でもまだ乳児を家に置いて行く段取りも立てられていないので、
仕方なく急遽見付けたベビーシッターさんを連れて、仕事 再開。

幸い私の事務所は広めの個室なので、
私が働いている横に簡易ベビーマットレスを敷いて、
そこで赤ちゃんをあやして貰い必要時に授乳する、
という体制 で始めの2週間は乗り切りました。

すると、同じ階で働いている他の国連機関のイタリア人職員も
私とほぼ同時期に出産したのですが、
彼女の事務所は小さすぎ るから私の事務所に赤ちゃんを置きに来て、
気付けば私の事務所が保育所に大変身(写真参照)!

でも、大事な電話会議中に赤ちゃんが泣き出して相手にびっく りされたり、
同僚達や同ビル内の他の職員や警備員さん達からはいつの間にか
「トモコ」ではなく「ジュリアのママ」と呼ばれる様になったり、
弊害もあります が…。

それと今回改めて感じたのが、子持ちになると仕事量が俄然減っちゃう事。
独り身の頃みたいに仕事に満足行く迄残業しようものなら、
構って欲しい娘は ぐずって大泣き始めるし、
朝娘をお風呂に入れたりしていると出勤時間も以前より遅くなってしまうしで、
仕事への影響は想像以上。
子育てと仕事を両立して頑 張っている他の女性達への尊敬の気持ちが、
自分も子持になってみて一層増しました。

生活面では、相変わらず停電・断水続きで
へこみそうになるビサウ生活ですが、
これからはジュリアの為にもちょっとやそっとじゃ動じない
「強い母」にならねば!
(などと豪語しながらも、伴侶には私の弱音と愚痴の聞き役になって貰っていますが…(-_- ;)