2021年12月30日木曜日

コロナ恨み節+Alpha           (朋子さんのブログから)


     前回のブログからまた数カ月経ってしまいましたが、
     この間はコロナに翻弄されました。
     何が起きたかと言うと、9月中旬に日本からモザに帰任する予定が、
     日本の緊急事態宣言を受けてかエチオピア航空の帰任便が
     キャンセルになり、急遽日本滞在が5日間延長。
     日本の家族と過ごせる時間が延びたので、ラッキ~!でしたが、
     休暇は延長できないので、この間は7時間の時差を跨いて遠隔勤務。
     モザの勤務時間に合わせるので、日本の昼1時過ぎから夜12時まで、
     夕食の時間も容赦なく会議が入るので、
     家族との食卓にもまともに着けずに日本での最後の5日は過ぎました。
     そしてモザに帰任してまだスーツケースも片付け終わらない内に、
     北部へ出張に行かなくてはならなくなり、
     「え~、まじ?」と長旅疲れもあって、
     仕事も山積みだし、もうゲンナリ…。


     その時期を乗り越えた頃の10月末、
     ブルキナからイタリア人親友とその息子が1週間モザンビークに
     休暇で遊びに来ました。
     そこでマプトでの週末彼らは我が家に泊まり、
     内陸国から来て海に飢えている彼らをビーチに連れて行き、
     週日彼らはバザルートという美しい観光でも有名な諸島を訪れ、
     翌週末に再度我が家に泊まり
     いざその午後にブルキナに帰任するという時、
     陰性証明を受け取る為に受けたPCR検査の結果が
     息子さんの分だけまさかの陽性!
     それで帰任便を1週間延期して隔離するべく
     短期賃貸アパートホテルに移りました。

     一方、ジュリアと私も「濃厚接触者」という事で、
     1週間の自宅待機…。
     ジュリアの通学にも響くので、PCR検査を受けて陰性が出たので、
     3日間の自宅待機で済みましたが。
     で、1週間後に友達と息子を再度「最後の週末」と言って
     連れ廻って挙句、また出発前のPCRを受けたら
     何とまた陽性…😢 で、再度我々もPCRを受けなきゃいけず、
     コロナに振り回されるローラーコースター状態。
     で更に5日間の自宅待機後に漸く彼ら親子共に陰性証明が取れて、
     漸く11月後半に出発する事ができた日には、
     正直私も胸を撫で下ろした次第です…。

     12月に入ると今度はオミクロン株のニュースで
     南部アフリカからの入国制限をする国が相次ぎ、
     冬休みに日本から家族が訪れる計画もあっけなく流れてしまいました。
     そこで代わりに友人2家族と冬休み始めの週末に
     近場のビーチに旅行したら、海辺を散歩中に急に悪寒がして来て
     翌日は風邪の様な頭痛と鼻づまりで寝込み、
     「これは、まさか?」と思い残りの週末は
     なるべくマスクをして過ごしましたが、
     あいにく友人達にも感染させてしまい、
     マプトに戻って早速コロナ検査を受けたら案の上陽性。
     これからクリスマス&新年のお祝シーズンなのに自宅待機に突入…。
     2021年は計7週間近く自宅待機で過ごした事になります。
     あ~、このままじゃ、引きこもりどころ社交障害に陥りそう…。

     でもこの間大切な発見や数珠の時間もありましたよ。
     例えばコロナに罹ったある夜中、急に息苦しく感じたので
     「このまま緊急入院しなきゃいけなくなったらどうしよう?
     その間、ジュリアの面倒は誰が見てくれるだろう?」と心配になり、
     「とにかく翌朝無事に起きてジュリアの成長を見届けられます様に…」
     と祈りながら寝ました。
     翌朝無事に起きて、ジュリアの安らかな寝顔を見た時、
     「あ~、生きてジュリアの傍にいられるだけで、幸せなんだよな~」
     と痛感できました。


     この数カ月仕事の忙しさに終われ、
     精神的にもイライラギスギスして来て、心にも余裕がなく
     意地悪な性格になって来ちゃっている気がしていたので、
     この気付きで何が大切か初心に戻れた感じ。


     それと、お祝シーズンに自宅待機になってしまったショックと、
     友達も感染してしまった罪悪感と、
     ジュリアが「クリスマス・プレゼントを1つしか貰えなかったのは、
     サンタさんは私がいい子にしてなかったと思っているからだ~」
     と泣いているのが可哀想で落ち込んでいたら、
     7歳のジュリアから


     「ママ、もうその事は考えるの止めようの歌を作ったから、
     それを歌って気分転換しよう!」と慰められ、
     実はジュリアの方が私よりもEQ高いかも?!と感心しました!

     最後にコロナとは関係なく、この間のハイライト!
     モザンビークに再赴任を希望した理由の一つが、
     前回仲良くなった完全孤児の子達が成長して行く支えになりたいと
     思ったからですが、コロナによる規制と仕事・子育てで時間がなく、
     マザーテレサのお家「希望の家」を訪れる20-30分以外は
     なかなか一緒に過ごせませんでした。


     そこで10月のある日、主任シスターが離任する挨拶に行った際に
     駄目モトで
     「コロナも落ち着いて来たから、
     あの子達を我が家に招いていいですか?」とお願いしたら、
     離任前で寛容になってくれていたせいもあり、
     「いいわよ!」とあっさり許可してくれたので、
     7人中「希望の家」にまだ残っている4人を家に招き、


     おやつを食べてWiiで一緒に遊べて、
     彼女達の嬉しそうな顔を見る事ができたので、
     念願の夢をやっと果たす事ができたのでした!!
     あ~、モザに再赴任できて、本当に良かったな~♪

     最後に最近心に響いた一句:
     「働くことはすばらしい。しかし、仕事の奴隷になってはいけない。
     きちんとまわりが見えているだろうか。
     心にゆとりがないと自分も他人もいたわれない。」
     ~by渡辺和子~


2021年11月22日月曜日

Eastside Culture Crawl            82回トランスリンクの旅

     パンデミックになって以来家に引き籠っているせいか、
     季節の感覚が薄れてきていましたが、今はまだ秋。
     秋といえば「芸術の秋」
     あちこちで美術展も開催されるようになりました。

     その一つにバンクーバーで開かれた
     「Eastside Curture Crawl」があって。
     今年で25回目を迎えたこの催しは
     絵画、写真、アクセサリー、陶芸、織物、手作り家具、
     印刷、ガラスアートなどの分野で400人以上のアーティストが参加。
     会場は75箇所もあり、たった1日で全部を見て回るなんてとても不可能。
     で、沢山の会場の中から選んだのは、
     100年前に倉庫として作られた「1000 Parker Street Studios」です。
     
     参加者はミツコさん、悦子さん、友子さんと私の4人。
     Waterfront 駅で集合。
     Hastings とSeymour から20番のバスに乗り、Commercial とWilliam で下車。
     まずは腹ごしらえから。
     ランチのレストランはインドの伝統料理のお店「Sula Indian Restaurant」
     このレストランは大当たりでした。
 

     店内はお洒落でアットホームな雰囲気!


     上の写真の2品はアペタイザーで
     その他ラムとチキンのカレーをオーダー。
     とても美味しく、量も食べ切れないくらいでした。


     ランチを堪能した後、1000 Parker Street Studios へ。
     今回の催しのシンボルであるカラスに導かれ、公園を突き抜け、
     ヘリテージハウスが立ち並ぶ家並みを通り過ぎて目的のStudios まで。
     天気に恵まれた気持ちの良い散歩でした。
     

     到着してビックリ!入り口の前に凄い長い行列が。
     その長さにもめげず並べたのは天気のおかげ。
     入る前にちゃんとワクチンカードの検査を受け、
     マスクをして中に。
     

     この建物は一見3階建てに見えますが、実は4階建て。
     中は蜂の巣のように入り組み、まるで迷路の中を歩いているよう。
     広さは42,408坪もあり110のスタジオに
     227名のアーティストが活動しているとのこと。


     現代アートってどういうふうに見たら良いか、
     何しろ意味不明の作品があったり、
     これがアートなのって疑問に思う作品が多々あって、
     いつも評価に困ってしまう。
     私のような素人の評価基準はただ好きかどうか、面白いかどうか、
     またインテリアとして家に飾れるかどうかで決めてしまう。

     でも今や素晴らしいと評価されているゴッホやゴーギャンなど
     多くの画家たちの作品が同時代の人たちには
     評価されなかったことを考えると、
     私たちと同時代を生きるアーティストたちが
     表現する現代アートをもっと真剣に鑑賞する必要があるのかもしれない。
     現代アートは目で見て楽しむものではなく、
     考えて楽しむものだそうです。

     まあ小難しいことは分からないけど、
     沢山の作品を見て、アーティストの想像力、発想の転換などに
     非日常的な心地よい刺激を受けたのは確か。
     
     作品を見た後はやっぱりお茶をと言うことで、
     近くのビールの醸造所「Luppolo」へ。



     帰りは友子さんのご主人の車で Canada Line のKing Edward Station 
     まで送っていただいた。
     デニー、ありがとうございました!
     車窓から見える夕焼けの美しかったこと!
     今回は予期せぬ事情で何回も計画を練り直しましたが、
     全てが上手くいき、楽しい旅でした。

2021年11月1日月曜日

Bear, Lion and Tiger Friends Say Goodbye After 16 Years Together

     Together Forever 

      16年間も一緒に家族のように生活してきた
     ライオンとクマとトラの心温まるお話です。

     彼らは小さい時からほとんど離れることなく、
     常に鼻を擦り付けあったりして仲良く暮らして来たのですが、
     遂にその一頭の仲間に別れを告げなければならない時がやって来ました。
     その3頭の最後の時間の過ごし方に
     飼育係はとても感銘を受けたそうです。
 
     The BLT  

     この3頭はNoah's Ark Animal Sanctuary で
     「The BLT」と呼ばれてるトリオです。
     普通だったらこのような3頭はお互いに殺し合っているはずなのに、
     彼らはとても仲良く、離れようとはしなかったそうです。
     この珍しいケースは彼らがとても小さかった頃からスタート。

     How it All Began

     物語は麻薬捜査から始まりました。
     警察がアトランタの家に踏み込んだ時、地下室に閉じ込められていた
     この3匹を見つけました。

     Sick cubs

     この3匹はひどい状態で、
     小さな檻に寄生虫まみれで閉じ込められていました。
     そのため健康を取り戻させるのは大変だったそうです。

     Welcome Home

     その後3匹はNoah's Ark Animal Sanctuary に引き取られ、
     新しい生活が始まりました。
     クマ、ライオン、タイガーを一緒の所に入れるなんて、
     普通では考えられなかったのですが、
     3匹はとても仲が良く、広いスペースがあるにもかかわらず、
     離れたがりませんでした。


     3匹の絆がとても強いのは、恐らく彼らが共有した
     初期のトラウマのせいだと言われています。

     The bear Necessities 

     飼育係がつけたクマの名前は「バルー」
     ディズニー映画の「Jungle Book」から来ています。

     Tiger, Tiger, Burning Bright

     トラの名前は「シアカーン」
     やはりディズニー映画の「Jungle Book」から来ています。

     Starry Night

     ライオンのキャラクターは「Jungle Book」には出てこないので、
     彼の名は「レオ」と名付けられました。
     レオが一見メスライオンに見えるのは、
     小さい時に避妊矯正を受けた為、たてがみが生えてこなかったのです。

     The Lion Sleeps Tonight

     悲しいことに、歳をとるにつれレオは深刻な病気に。
     それでどこが悪いのか手術して調べることになりました。
     3頭が離れたのはその期間だけでした。

     Waiting For Results

     レオがいない間、2頭はお互いに慰め合っていました。
     レオの衰弱がひどいので、レオが病気だということは
     彼らにも分かっていたと思うと飼育係が述べています。

     手術中、レオの肝臓が機能していないことがわかりました。
     レオはひどい痛みを抱えていたのでしょう。
     獣医は彼を眠らせることが最善の策であると判断。

     でも飼育係はレオをそのまま眠らせることはしませんでした。
     レオを最後にもう一度蘇生させ、
     彼に兄弟ときちんとお別れをする機会を与えたのです。

     Goodbye Brothers

     最後にもう一度寄り添ったときに、
     何が起こっているのかを実際に理解している動物がいるかどうかを
     判断するのは困難でした。 確かに、バルーとシアカーンは
     彼らの兄弟が病気であることを知っていましたが、
     これが最後のお別れになるということは理解出来なかったかもしれません。
 
     彼らの理解の欠如にもかかわらず、
     トリオは最後にもう一度お互いを抱きしめました。
      そして、彼らと最後の瞬間を一緒に過ごした後、
     レオは眠りにつくために連れていかれました。

     It's been a Long Day Without You, My friend 

     彼らの動物間の家族の絆の強さを考慮して、
     飼育係は彼らの兄弟の死後、
     バルーとシアカーンを注意深く見守っていました。
      彼らは、動物が何らかの形のうつ病を経験するかもしれないことを
     心配していました。

     And I'll tell You All About It When I See You Again

     ありがたいことに2頭の団結は固く、
     飼育係によると、彼らはレオの死に
     信じられないほどうまく対処し、
     今でもすべての時間を一緒に過ごしているそうです。

     さよならを言うことは決して簡単ではありません。
      Noah's Ark Animal Sanctuary のスタッフもレオの死を悲しんで、
     お別れの会を開いたそうです。

     これらの3匹の動物は、生涯を通じて寄り添い、
     そのうちの2匹は今も健在です。

2021年10月18日月曜日

クランベリーのピンクの湖         81回トランスリンクの旅

     せっかく晴れマークだった日曜日を選んだのに、
     当日は100%雨の予報。
     今回は遂に傘を使うかなって思っていましたが、
     やっぱり私たちは晴れ女だったんですね。
     朝からどんよりと曇ってはいましたが、
     1日雨には降られませんでした。
     参加者は幸子さんと多美江さんと私の3人。

     今回こそは「クランベリー」が水に浮いているところを見たいと、
     多美江さんの運転で出発しました。


     目指したクランベリー畑はなんかもう収穫が終わったような感じ。
     どこの畑もこんな感じで、水さえ入っていません。


     今回もダメかと諦めかけていたのですが、、、
     遠くの畑の側にトラックのような車があるのを見つけて、
     もしかしたらとRiver Road を西に向かって走ってみました。



     Fraser River を左手に見ながら走っていくと、右手に細い道が。
     上手くその小道に入ることが出来たのですが
     (これは多美江さんのおかげ)
     ちょっと走るとDead End に。
     車から降りてクランベリー畑はどこかと探していたら、
     近くの家から男の人が怖い顔をして出て来て。
     「こんなところに勝手に入って来て」と怒鳴られるのだなって
     覚悟しつつ、「はーい!」とにこやかに近づき、
     「クランベリーの収穫を見に来たのだけど」と言うと、
     その人もにこやかになって
     「ここは危険でクランベリー畑には近づけないけど、
     昨日River Road の鉄橋のあるあたりで収穫をしていたから
     そっちに行ったら見られると思うよ。
     そこだったら道路から見えるから」
     と親切に教えてくれました。


     鉄橋のあたりでやっとピンクに染まったクランベリー畑に出会えて。


     せっかく見つけたのですが、道路からはちょっと遠く、
     近くで見たいと思ってもゲートがあって勝手には入れません。


     中にいたインド人のおじさんにダメ元で、
     「クランベリーの写真を撮りたいので中に入ってもいいですか?」
     と尋ねたところ、なんと「どうぞ」と言ってくれたのです。
     その瞬間おじさんが仏様のように見えました。
     実際このおじさん良い顔してますよね?
    

     畦道に入るとクランベリーの「ピンクの湖」が目の前に広がっています。

     実はクランベリー、元々北米が原産。
     今ではこのBC州が生産高で世界第3位です。
     かなり古い時代から食用だけでなく、染料や薬の材料として
     北米の先住民に利用されていたそうです。

     ピンクに染まった畑は「ボグ」という特殊な畑で、
     日本の水田に良く似ています。
     地表面は平坦で傾斜のないように整備されていて、
     その周りに低い土手が作られています。
     内側に水が溜めるられるようになっているのですね。

     収穫の仕方には2通りあって
     1)がウエットハーベスティングで
     ボグに数インチの深さに水を張り、攪拌機で水をかき混ぜて
     実を浮かび上がらせます。
     実が水に浮いているところをポンプで輸送用のトラックに集め、
     加工工場に運ぶのです。
     この方法で収穫されたクランベリーは全て加工用に使われます。
     2)はドライハーベスティングです。
     芝刈り機にクシみたいなベルトコンベアのついた収穫機で
     収穫します。
     この方法で収穫されたクランベリーが生食用として
     お店で売られています。
     私たちが作るジャムやソースはこのクランベリーを使います。 

     以前見た時は真っ赤だったのに、今回はピンク色。
     おじさんの話によると年によって色が違うそうです。


     「よく見てごらん。クランベリーは色々な色をしているだろう」
     と言われ良く見たら黒っぽいのから赤、ピンク、白までありました。


     「Fowl Farmer 」に寄ってドライハーベストで収穫した
     生食用のクランベリーを買って来ました。
     前回作ったジャムが美味しかったので、また作るつもりです。


     ランチは近くのCountry Meadows Golf Courseにある
     レストランThe Grill へ



     料理も美味しかったし、サービスも良かったです。


     庭がとても可愛らしく、天気の良い日にこの庭を眺めながら
     食事したら素敵でしょうね。

     今回やっとクランベリーの収穫の一端を見ることが出来ましたけど、
     これもひとえに多美江さんのおかげ。
     どこにあるか分からないクランベリー畑を探す。
     それも一車線しかない田舎道なのに、後ろから結構車が来るし、
     停まりたいなと思っても脇に余分なスペースがない。
     私が「あれ見たいからちょっと停まってくれない?」だとか、
     通りすぎてから「あの道に入りたいんだけど」と無理な注文をしても、
     嫌な顔一つせず、ちゃんと目的地に連れて行ってくれたおかげです。
     多美江さん、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。