2021年8月22日日曜日

Sunflower Festival に行って来ました。    77回トランスリンクの旅

     去年の2月からパンデミックのためにお休みしていた
     トランスリンクの旅を 再開することになり、
     参加者6名でSteveston のCountry Farm でやっている
     Sunflower Festival に行って来ました。


     1年半ぶりにお会いする人もいて
     まずはお互いに元気で集えたことを喜び合いました。

     このSunflower Festival は今年で3回目だそうで、
     90種類以上のひまわりやダリア、グラジオラスが
     20エーカー以上ある広い農地に美しく咲き乱れ、
     その見事さ、スケールの大きさに皆さん目を見張っていました。


     最初に入り口前で私たちを迎えてくれたのがこの大きな恐竜。
     電動で人が来ると動き出します。
     孫と来たときはこの恐竜に大喜びでした。


     この小さなトンネルを抜けると、、


     ひまわりの迷路に。


     ひまわりも背の高いのから低いの。
     色もよく見る黄色から白、赤の模様が入ったもの。
     形もいろいろでした。



     所々にこんなアンティークの馬車や、トラクターなどがあって、
     子供達も遊べるようになっています。


     ひまわり畑を過ぎると、コスモス、グラジオラス、
     ダリヤやポピーなどが見渡す限り咲いていて、
     その彩りの美しさに感動です。



     この動画は和子さんが作ってくれました。

     2時間近く無我夢中で歩いたのでみんなお腹ペコペコ。
     もっと見ていたい気持ちもあったのですが、、、
     食事に。
     今回レストランはインド料理の「Ember Indian Kitchen 」です。

 

     アペタイザーにナスとオクラの揚げ物。
     とっても美味しかったです!


     メインは3種類のカレー
     ナンにつけて食べましたが、このカレーもナンも美味しかったです。


     最後はチャイティー。
     食事の後もう一度ひまわりを見に行くはずでしたが、
     ついつい話に花が咲いて、気がついたら3時近く。
     結局食事をしたところで解散となりました。

     今日は暑すぎもせず、寒くもない。
     お花を楽しむには絶好の日和でした。
     選んだ場所が良かったことと、
     久しぶりに会うことが出来たということもあって、
     本当に楽しいトランスリンクの旅となりました。
     お花の好きな方、是非見に行ってください。
     お庭の花と違って、野原いっぱいという感じで、
     そのスケールの大きさ、見事さに
     日頃の憂さも晴れるでしょうから。

     「また来年も見に来たいね」と言うのが全員の感想でした。




2021年8月21日土曜日

夏休みへの長い旅路(後編)        朋子さんのブログから


     で、やっと2週間経ったところで久々に家から出て、
     緊張の面持ちで再度コロナ検査に挑戦。
     この結果には「今度も陽性だったら
     この夏の一時帰国はお流れかどうか?!」が掛かっていたので、
     ジュリアも私も真剣にお祈りして
     PCR検査を行うクリニックにいざ出陣!
     私が先にテスト受けたら
     鼻の奥の奥まで綿棒を入れて丁寧にクルクル回したので、
     それを見てジュリアは怖くなって大泣きを始めたので、
     それを一生懸命なだめる事数分間。
     優しく忍耐強い看護師さんのお陰で漸く検査が終わったので、
     頑張ったジュリアのご褒美も兼ねて
     海沿いのアイスクリーム・パーラーで
     私はコーヒー、ジュリアはアイスパフェを海を見ながら楽しみました。
     「自由で出歩けるって、何て幸せな事なんだろう…!」
     と幸福感に浸りながら♪

     例の如く結果は24時間後なので、
     その夜は祈りつつも最悪の事態に心理的に備えるべく、
     「仮にどちらかが陽性で私達はこの夏日本に一時帰国できなくても
     大したことはない。
     紛争や誘拐や不治の病で苦しんでいる人だって世界に一杯いる中、
     こうやって安全で健康に生きていられるだけでも
     ありがたいことなんだ。」
     と自分に言いきかせながらその夜は眠りました。

     翌朝PCR検査の結果が出る9時過ぎまで、
     不安な気持ちでオンライン会議に出たりメール対応をしていたら、
     メールでPCR検査の結果が送られて来ました。
     果たして是と出るか非と出るか??とドキドキしながら開いてみると、
     まず私は陰性!次にジュリアは…これも陰性!!
     「ジュリア~、陰性だったよ!」とジュリアに行ったら、
     「やった~!」と飛びついて来て、二人で抱き合って
      涙浮かべながら喜びました!

     そして今度こそ翌日日本に帰れることが確定したので、
     改めてスーツケースの準備を始め、
     私はコロナワクチン二度目の摂取に行ったりして
     慌ただしく準備をすませ、翌朝漸く空港へ。

     空港の入り口でPCR検査結果を点検する係員に
     我々のPCR検査結果を意気揚々と提示すると、
     3・4個のラボの名前を手書きしたリストと比べて
     「この検査をしたラボは認可されたリストにないからダメ」
     と言い出し愕然…。
     いつからそんなリストが?!すがる様な気持ちで、
     「でも昨日エチオピア航空に電話して確認したら、
     特にラボに指定はないって言われた」と主張したら、
     不満そうながらも渋々承諾し、
     今度は内容を確認し始めたら
     「この検査方法はもう許可されていない」と言い出したので、
     「でも日本政府が入国の際に提示を求める
     検査表では許可されている」と日本政府の書式を提示したら、
     係員はそれを持って中に入っていき更に待たされること10分間。

     半ベソ状態のジュリアに「大丈夫、きっと入れるから。」
     と自らを慰める様に言い続けました。
     やっと係員が戻って来たら、
     エチオピア航空の責任者を連れてきたので、
     その人に日本政府の書式を提示し、
     「受入国の書式に沿っているのだから、
     入国できない筈がありません。」と説明したら、
     漸く入れてくれました。
     中に入れた途端、またジュリアと安堵と喜びで抱き合いました、
     目をウルウルさせながら!


     その後、エチオピアと韓国経由で25時間以上掛けて、
     何とか成田に到着。
     飛行機から出るとコロナ対策で
     長蛇の列になっていたので携帯を付けたら、
     友達から「ねえ、モザンビークが
     『入国・帰国者は到着後指定の宿泊施設で
     3日間隔離滞在指定国』に入っちゃったよ、大丈夫?」
     とメールが来ていて、
     長旅の疲れに追い打ちを掛けられた様でもうグッタリ。

     「日本に辿り着けただけでもありがたいんだ」
     と自分に言い聞かせながら係員から配られた用紙に記入を始めたら、
     モザンビークが指定施設隔離滞在の指定国リストに
     入っていなかったので、
     「あれ?」と外務省のHPをチェックしたら、
     モザが入った新リストは翌々日から実施との由。
     ギリギリセーフでした!

     その後位置情報や検閲のモニタリングのアプリを
     ダウンロードする手続きやPCR検査を受け、
     その陰性結果を経て漸く空港から出られたのは
     着陸してから2時間以上後!あ~、長かった~!!

ひいおばあちゃんに迎えられるジュリアちゃん

従姉妹たちと遊ぶジュリアちゃん

     日本の実家に到着したものの、2週間は自宅待機中です。
     マプトでの2週間に続き、
     今年は計1カ月自宅隔離生活をした事になります…。
     でも、マプトで外界から遮断された生活に慣れていたせいもあり
     特に苦痛でもないし、
     家族と過ごすのが一番の目的で日本に帰って来ているので、
     「同じ自宅隔離生活でも、大家族が傍にいるといないじゃ大違いだな~」
     と実感しながら、
     実家でブログを書いたり庭仕事したり子ども達と遊んだりしながら、
     やっと辿り着いた夏休みを過ごしています♪


夏休みへの長い旅路(前編)        朋子さんのブログから


     7月下旬は私も週末や夜も返上して働き、
     漸く待ちに待った日本への一時帰国休暇が1週間後に迫りました。
     その日はジュリアがお友達の家にお泊りに行ったので、
     私は久々に子ども抜きで友達と夕食を食べゆっくり寝れたと思ったら、
     早朝7時前に泊まっている友達のお母さんからメッセージが来て、
     「夜中にジュリアが吐いてちょっと熱がある」との事。
     慌ててジュリアを迎えに行くと、特にぐったりはしていない様子なので、
     「食中毒か?コロナか?」と思って様子を見ていたら
     翌日には大分熱も引いたので、
     「やはり食中毒だったみたいね」と安心して、
     翌週日本出発の前々日に搭乗する為に
     2人ともコロナのテストを受けました。

     結果は24時間後ですが、
     勿論旅行できると思って荷造りも進めていたら、
     テスト先のラボから連絡が来て、
     「トモコさんは陰性ですが、ジュリアちゃんは陽性と出ました。
     親子で結果が違う為誤診の可能性もあるので、
     ジュリアちゃんは受け直して下さい。」だって!
     慌ててジュリアを連れて
     ラボで泣いて嫌がるジュリアだけテストを受け直し、
     また待つ事24時間で出発日の朝。
     祈る気持ちでメールを開いたら、
     「残念ながらまた陽性でした。自宅隔離して下さい。」
     ま、まじで・・・?
     「やった~、待ちに待った日本での休暇だ~!!」
     というルンルンモードから、
     これから2週間自宅から一歩を出ちゃいけない隔離生活という
     正反対の展開に、一気に奈落の底に突き落とされた気分…。

     そんなこんなで、すっかり意気消沈しつつ2週間の隔離生活開始。
     これから1ヶ月休暇で留守にする予定だったので、
     食材も使い切ってなくなっていたので、どうしたものか。
     おっと、その前に航空券の変更しなくちゃ。
     と慌ててインターネットでカタール航空券を
     今日から2週間後に変更しようとしたら、
     もう8月前半のエコノミークラスの席は残っていず、
     値段が3倍するビジネスクラスのみ。

     「この夏の日本旅行は断念か…」と半分諦めつつもダメ元で
     エチオピア航空の空席状況を検索したら、
     2週間後の便のエコノミークラスで後2席残っているではありませんか!
     「これ幸い♪」と早速予約してクレジットカードで支払おうとしたら、
     日本やモザのカードで何度やってもダメ。
     日本のカードはセキュリティーロックが掛かったのかと思い、
     わざわざ早起きして日本の銀行に電話して、
     国際電話なのに長く待たされジリジリしつつも
     忍耐強く待って一時的ロック解除の手続きをして貰い、
     再挑戦しましたが、それでもダメ。
     自らエチオピア航空の事務所に行ったらカードで払えるのに…。
     モザのカードの方が残額が少ない為かと思い、
     家にある現金を振り込めばいいじゃん、と思いましたが、
     おっと自宅隔離で出ちゃいけないんだった。
     いや~、自分自身で動き回れないって、何て不自由なのかしら…。

     そうやって途方に暮れていたら、
     ビサウ時代から仲良しで偶然モザに赴任していた
     ベルギー人の友人・サラが、
     「じゃあ、私が代わりに払いに行ってあげるよ!
     ついでに食材の買い物もしてあげるから、リストしといて。」
     と優しい提案をしてくれたので、サラ様々でお願いしました。

     実はサラ自身家族が7月頭にコロナに掛かり
     一家揃って2週間の隔離生活を経験した所なので、
     その不便さを身をもって実感していたからでしょう。
     そうやってサラのお影で2週間後のチケットを購入できたので、
     「今は辛くても、2週間後には日本に行ける」
     という希望と友情と思いやりの大切さを実感しました。


     そして」何とか気を持ち直して2週間の隔離生活を開始。
     不幸中の幸いと言うべきか、
     ちょうど東京五輪の2週間と重なったので、
     屋内で仕事以外の時間はオリンピック観戦をしたり、
     それに触発されてはジュリアと卓球したりWiiスポーツで遊んだり、
     生まれて初めてパンを焼いてみたり、
     二人で瞑想したり音楽かけて踊ったり、
     とにかく屋内でできる事はやってみた感じ。
     それとコロナを少しでも早く治すのに有効と言われる事は
     なるべくやった2週間。
     すなわち水分を一杯飲み、
     ビタミンC・Dを摂取し睡眠を十分に取り適度の運動をして、
     超健康的な生活をしていたら、
     普段よりも却って体調が良くなり、これも不幸中の幸いですかね…。

北部出張第二弾+三人娘の夢支援       朋子さんのブログから

      いや~、大変でした、ここまで辿り着くのは!
     ジュリアの友達が次々に夏休みで一時帰国してしまい、
     それでも7月中旬には大切な出張と
     7月末には重要な仕事の締め切りがあったので、
     学校が終わってウズウズしているジュリアに我慢して貰い、
     7月中旬に更にテロ攻撃が悪化しているモザ北部へ出張して来ました。


     *赤くなっているところは武装勢力と政府軍の戦闘が続く、
     モザンビーク北部のカーボ・デルガード州。
     70万人以上が避難を余儀なくされ、人道援助のニーズが
     急速に高まっている。
     そのような中、「対テロ」の政策により、
     援助を必要とする人びとがさらなる窮地に立たされている。


     そこでは、今年に入って更に国内避難民が増え、
     同時に長引く避難民生活に辟易とした様子に切なくなりました。


     始めに訪ねた小学校では、
     週末に家族で集っている最中に村をテロ襲撃され、
     命からがらで子どもを抱えて逃げて
     草藪の中に着の身着のままで何も飲まず食べずに3日間隠れ、
     命からがらで南部まで逃げてきたとある先生は語ってくれました。

     また別の学校では、話し合いの終わりに一人の先生が手を挙げて
     「一つ訴えたい事があります。」と改めて発言しました。
     何かと思ったら、
     襲撃から逃げて来たその先生を始め
     その地域の先生達は、
     「襲撃後に政府軍がその地域を安定化したから、
     近日中に所属の学校に戻る様に」との命令を受けたそうな。
     でも襲撃で受けたトラウマと、
     またその地域が襲撃に遭うかも知れないという不安から、
     その先生達は所属の学校に戻るのを躊躇しているそうです。
     この僕達の気持ちを教育省の責任者に伝えて欲しい」との由でした。



     そこで翌日州都に戻って州教育局長と会議した際に
     この先生達の要望を伝えた所、
     「彼らの気持ちも分かるが、
     この地域に残って勉強を必要としている子ども達もいる。
     だから、教育責任者の我々は、その子達が教育を受ける権利を
     尊重した判断もしなきゃいけないんだよ。」
     と苦悩の表情で吐露していました。

     他にも訪れた避難民移住地域では、
     襲撃を逃げて来た十代前半の女の子達が、
     紛争のせいでを中断・中退せざるを得ずに残念そうでした。


     先生の安全を確保しつつ、
     危険地域にいる子ども達にどうやって教育を提供できるか、
     また紛争の為に公教育を受け続ける機会を失った
     青少年達にどう代替教育を提供できるか、
     今後のモザ北部を含め世界の紛争地域における課題なので、
     遠隔教育などの可能性を探り始めました。
     それも含め、6・7月は教育省の大臣と
     同席する会議や式典に参加する機会もあり、
     例の如く忙しく走り回っておりました。


     ちなみに去年モザに赴任してコロナ禍が始まって間もなく、
     マザーテレサのシスターから連絡があり、
     「昔から可愛がっている孤児娘3人が大人になって
     自分達の微々たる稼ぎを寄せ集め、
     郊外に土地を買ったからそこに家を建てる支援を
     してあげられませんか」と頼まれたので、
     カナダ在住の心ある日本人のグループに相談した所、
     今後卒園する子達も受け入れるのなら
     複数の孤児達の将来の居場所になると快く了解して下さったので、
     早速見取り図と見積もりを作り、
     始めの資金を送りました。
  
     ところがコロナ禍で資材の値段も急上昇したりと
     次々と障害に阻まれ、一時は頓挫しそうでしたが
     もう一度見積もり改正して何とか持ち直し、
     6月に漸く完成しました!
     借り部屋一室に3人で住んでいた窮屈な暮らしから
     漸く新居に引っ越せた3人娘の嬉しそうな顔を見ていたら、
     「コロナ禍でも望みは捨てたもんンじゃないな~」と
     心温かくなりました♪(
     その様子をYoutubeに載せたので、お手隙の際に見て下さい。