バンクーバーでCharity Lunch
2026年10月24日土曜日
22回映画談義とおやつの会 (シンドラーのリスト)
いつも参加してくださる方たちが、日本に行っていたり、忙しかった
りで、今回は参加者が5人だけとなってしまいました。
それでもおやつはいっぱい!毎回色んな新しいお菓子が出てきて驚く
ばかり!今回も色々なお菓子を楽しみました。
今月の映画の話題は、先月の映画「オデッサ・ファイル」についで、
ナチスとホロコーストを背景にした、1993年公開の「シンドラーのリ
スト」です。スティーヴン・スピルバーク監督、制作、メインキャス
トはリーアム・ニーソン。
上映時間は3時間15分で、ほぼ全編がモノクロ映像なので、まるでド
キュメンタリーを観ているような現実味がありました。
この映画は、1939年、ナチス・ドイツがポーランドを占領した時代か
ら始まります。主人公のオスカー・シンドラーは、戦争を利用して一
儲けしようとポーランドのクラクフにやって来た、ナチス党員の実業
家です。彼は持ち前の社交性を武器に軍の将校たちへ巧みに取り入
り、ユダヤ人が所有していた工場を安く手に入れ、ドイツ軍向けの調
理器具などを製造して資産を拡大していきます。
上の写真が実在のオスカー・シンドラーで、この物語が始まった時の
彼はまだ31歳だったというから驚きますね。
シンドラー自身には経営能力はありませんが、彼の右腕となって支え
たのが、上の写真のユダヤ人イツアーク・シュルテンです。写真の右
側が実在のシュルテン。2人の関係は最初は仕事上のものだったのです
が、時の経過の中で深い友情が芽生え、1969年シュテルンが亡くなっ
た時、シンドラーが埋葬を手配し、号泣したそうです。
シンドラーはコストを下げるためにユダヤ人を雇ったのですが、シュ
ルテンは片腕を失った人までを「軍需に不可欠な熟練工」として登録
し、移送から救おうとします。そのためシンドラーの工場は搾取の場
所であると同時に少しずつ避難所へと変わっていきます。
シンドラーは、クラクフにあるプワシュフ強制収容所の所長である
アーモン・ゲートと親しくなり、その関係を使って安い労働力である
ユダヤ人労働者の確保や、自分の工場運営を進めていました。この時
点では、シンドラーはまだ救済者ではなかったんです。
1943年3月13日突然移住という名目のもと、ゲットーの中のユダヤ人
の家々が襲われ、歩けない人、隠れた人、命令に従わない人がその場
で殺されていく......
モノクロの画面の中で、少女のコートだけが赤い。この赤いコートの
為、それまで労働力としてしか見ていない群衆の中に、一人の少女が
浮かび上がる。匿名の集団が、初めて一人の人間として彼の目に映っ
た瞬間です。彼の内面が変わるとても大事な場面です。
高台からそれを目撃したシンドラーは、もうこの事実から目を背ける
事が出来なくなり、一人でも多くのユダヤ人の命を救う為、自分の財
産と命を賭けることを決意。
この後の場面で、運ばれていく犠牲者たちの遺体の中にあのコートを
見つけてしまう場面が出てきます。この赤いコートを再び見た事によ
り、彼の決意は堅固なものになってゆきます。
生き残った人達は全てブワシュフ強制収容所へ。そこでは所長アー
モン・ゲートが、朝バルコニーからライフルで、無差別に囚人を撃ち
殺していきます。実在の彼も囚人を日常的に恣意的に銃撃した人物と
して知られています。何故殺されるのか理由なし。理由がない事こそ
が彼の統治手段なんです。この方法でユダヤ人たちを常に恐怖の中に
閉じ込めて、支配していたのだそう。
上の写真が実在のアーモン・ゲールです。左の写真は所長をしていた
頃で、右は勾留中の写真です。実際の彼は映画よりもっと残虐で、
「プワシュフの屠殺人」と呼ばれていたそう。
彼とシンドラーは同じ歳で、2人が出会った時は34歳同士だったんで
す。彼は大戦後、戦争犯罪で裁かれ、1946年9月にクラクフで処刑さ
れています。彼の最後の言葉が「ハイルヒトラー」だったとか。
「基礎をしっかりしないとバラック全体が潰れてしまう」と忠告に来
た現場主任である女性をあっさり殺してしまいます。この事件も彼の
冷酷さの一場面です。
女性たちを乗せた列車は、手違いでアウシュビッツへ送られてしま
います。髪を切られ、シャワー室に送られた時は最悪な結果を予想
していましたが.......出たのはガスではなく水でした。
複数の生存者の証言によると、実際に「アウシュビッツでシャワー室
に入れられ、ガスの恐怖を感じた末に水を浴びた」そうです。
シンドラーはダイヤモンドなどを使って交渉し、女性たちをプリュン
リッツへ移送させます。
プリュンリッツの工場ではまともな砲弾を作らせず、「軍需に必要」
という形だけを維持し、彼の努力で約1,100人が生き延びたのです。
終戦直前にシンドラーは警備兵と収容者を集めて話をした時に、警備
兵達に「収容者達に発砲するか、殺人者になるのではなく、人間とし
て家族の元に帰るのか」と問いかけると、警備兵達は収容者を殺さず
に立ち去っていきます。
実際にシンドラーが最後に話をした時は、警備兵に単純に二者択一を
迫ったのではなく、警備兵に殺戮を続けるなと暗に伝えつつ、「自分
達は殺人者ではない」と思わせて退かせた、非常に計算された演説を
したそうです。
1945年ドイツ降参。シンドラーに助けられたシュテルンとラビは、仲
間のユダヤ人から奥歯の金歯を抜き、それを溶かして円形の鋳型に流
し、冷ましてユダヤ教の言葉である「一人の命を救う者が世界を救
う」を刻印し、シンドラーにプレゼント。
史実でもユダヤ人の金歯で作られた指輪をもらったそうです。
指輪を受け取ったシンドラーは涙ながらに、「もっと救えたはずだ。
あと一人でも、二人でも......」と激しい後悔の念に襲われるのです
が、シュテルンは「こんなに沢山のユダヤ人を貴方は救った。彼らの
子孫が命を繋ぐ」と慰めるんですね。とても感動的な場面でした。
シンドラーはナチス党員なのでみんなに別れを告げ逃亡します。
その後画面はモノクロからカラーに変わり、現代のシンドラーの墓へ
移ります。シンドラーに救われた生存者や、その子孫達が墓前にそれ
ぞれ一個石を置いて行きます。これはユダヤ教の伝統的な死者への敬
意の印なんだそうです。彼への感謝と、彼が救った命が現在まで繋が
っていることの証明ですね。
私たちの話の中で、この映画のアーモンの姿を見て、人間はこんなに
も残酷になれるのか見ていて怖かったとか、またユダヤ人に対する扱
いの酷さ、逃げ惑う子供達を見て、見ていられなかったという意見が
多かったです。それでも極限状態に置かれても人間は、シンドラーの
ように、人間性に目覚め、善なる行動を取ることも出来る......
この彼の変貌がユダヤ人ばかりでなく、観ている私たちにとっても救
いになりました。まだ観ていない方、ぜひ観て頂きたい映画です。
この映画を作ったスピルバーク自身ユダヤ系アメリカ人で「血に染ま
ったお金はもらえない」として、監督料の受け取りを拒否したそうで
す。
2026年10月17日土曜日
久しぶりにDeep Cove へ! 148回トランスリンクの旅
Deep Cove に最後に行ったのは9年前。久しぶりに行ってみようと
いうことで、今回の旅はNorth Vancouver の東の端にある、入江の
小さな町Deep Cove です。
参加者5名
9:25 Brighouse 集合
9:31 Canada Line
9:58 Waterfront
10:07 EB W Pender@Granville
Bus #211 Seymour
10:50 NB Deep Cove Rd.@ Badger Rd.
バスを降りて、ブティックやギャラリーが立ち並ぶGallant Ave.に。
ここはDeep Cove のメインストリートです。まず目についたのが楓の
素晴らしい紅葉!
この通りの感じが以前と変わったような気がして調べてみたら.....
2021年にこの通りの改修工事があって新たに街路樹を植えたり、歩行
者にとってこの通りがより魅力的で快適になるよう色々手を入れたそ
う。で本当に魅力的な通りになっていました。
今日のランチは、Gallant Ave.を海の方に降って行った所にあるArms
Reach Bistro (以前にも行った)です。
レストランの内装はすっかりお洒落になっていて、窓から見える
景色も素敵でした!
選んだ料理全て当たりで量もちょうど。
美味しいものを食べて、楽しいお喋りで英気を養った後で.......
Deep Cove 散策です。
外に出ると、青空の青、雲の白、山の緑、海の碧が重なり合い、自然
の豊さをそのまま映したような美しい景色が目の前に広がり、まるで
一幅の絵を見ているようでした。
早速階段を降りて海の方へ。
桟橋で記念撮影です。
犬を2匹乗せていた船の横でも(笑)
桟橋から右手の山の上の方に、クオリーロックが見えます。
次はいよいよこの岩に挑戦です!
ここがクオリーロックに行くBarden Powell Trail の出発点。
前回登った時は9年前だったので、登るのが大変だったという記憶が
無く、ちょっとしたハイキングの積りでスタートしてみたら......
そんな甘いものではありませんでした。
この階段見てください。こんな階段がずーと続いているんです。
私たちが目指しているクオリーロックは、トレイルの起点から100
メートルの高さに位置しているのですが、トレイルは一定の勾配で
登り続けるのではなく、いくつかの尾根を超えたり小川を渡ったり
しながらアップダウンを繰り返すため、往復全体で実際に登る高さ
の合計は200メートルになるのだそうです。
階段の一段ごとの高さが高くて、登るのが大変!
簡単なハイキングと思っても、こんな注意の看板が出ていました。
私たちは季節に合った服装をしていたし、靴もまあまあ。昼間だし、
天気も良いので、この看板に書いてある物は必要なかったです。
樹の根や岩の露出した所も通り抜けて......
ダグラス・ファー(ベイマツ)やヘムロック(ツガ)が密集する森の
中を上がったり、下がったり。階段を降りきると道は次第に平坦に。
みんな休むこと無くどんどん登っていきました。
1,9キロのコースを1時間弱かけて全員無事にクオリーロックに到着!
頂上からの眺めは素晴らしく、フィヨルドの広大なパノラマや、遠く
にそびえるコースト山脈の峰々が一望に見渡せて、疲れも一気に吹き
飛びました。
美しい景色を十分に堪能して、すっかり元気になり、いよいよ下りで
す。下りはやや楽で50分弱で麓に到着。次に目指すは有名な「Honey
Dough」のお店です。
「Honey Dough」のお店でティータイム。
このお店、人気店だけあってものすごく混んでいて、注文する
人たちの列が外まで続いているんです。
2026年10月11日日曜日
ナイロビ生活、順調な滑り出し! 朋子さんのブログから
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