2026年7月18日土曜日

Granville Island にパリ祭を見に       142回トランスリンクの旅

 今月はGranville Island で初めてパリ祭が開かれると言うので、 
 GramvilleIsland 散策を兼ねて、パリ祭を見に行く旅となりました。

 参加者6名
 11:00 Brighouse Station   集合
 11:07 Canada Line         乗車
 11:28 Olympic Village   下車
 11:36 Olympic Village ( Bus #050 @Bay 1 )乗車
 11:44 WB W 2nd Ave.            下車
 11;49 Granville Island    到着
 橋を渡ってGranville Island に着いてすぐ下を見ると、釣ってきた魚を
 捌いてもらっているのが見えます。今捌いているのは鮭みたい。
 こんなところがあるなんて知りませんでした。


 レストランの予約は12時なので、ゆっくり Granville Island の中を見
 ながらレストランへ
 
 到着したレストランの前に母親と赤ちゃん、父親と裸の息子の4
 人の像が。これは Jack Harman 作のブロンズ彫刻「The Family」
 この彫刻の前で記念撮影です!

 ランチは「The Sand Bar Seafood Restaurant」で。
 店内はガラス張りで明るく、海もよく見えて素敵な雰囲気のお店
 でした。
 
 皆んなでシェアーした料理、全部美味しかったぁー!

 レストランの前にあるこの沢山の貝殻。これには何が書かれているの
 でしょうね。手に取って見てもよく読めませんでした。
 パリ祭までまだ時間があるので、雅子さんの案内でまたGramville
  Island ツアーの続きです。まずはゴングの試し打ちが出来る所へ。
 ゴングって初めて叩いてみましたけど、ど真ん中を叩くともの凄い音
 が出るんです。気持ちの良い音を出したかったら、中心から数センチ
 外側を軽く叩くのだそう。私が叩いている平べったくて音程がはっき
 りしないのは「タムタム」。ゴングでも下の左の写真に写っている、
 中心に小さな「コブ」があるタイプは、「チューンド・ゴング」と呼
 ばれ、簡単な旋律なら演奏することも可能なんだそうです。


 Granville Island は浅瀬だった所を埋め立てて、工業地帯として整備さ
 れたのが始まり。製材所やセメント工場などが集まって操業していま
 したが、第二次世界大戦後徐々に衰退し、1970年には荒廃した区域に
 なっていたので、連邦政府とバンクーバー市が再開発に着手。古い工
 場の建物を壊さずに改装し、産業地区から文化と観光の島へと変貌。
 上の写真のコンクリートサイロの絵は、工場側が島の雰囲気に馴染む
 ようブラジル人のアーティスト「OSGEMEOS」に依頼したもので、
 今ではGranville Island のランドマークになっています。
 見てください!サイロだけでなく、トラックのミキサー部分に巨大な
 アスパラガスやイチゴなどの絵が描かれていて.....特にアスパラガス、
 遠目には本物みたい。こんなトラックが走っていたら楽しいですね。
 上の写真は「手作り箒」のお店。カナダ産の木材や藁など自然素材を
 使ったクラフト系の箒が壁いっぱいに飾られています。
 この箒、実用品でありながらインテリアとしても人気があるんだと
 か。一見皆同じ箒に見えますが、調べてみるとそれぞれ用途がある
 そうで、蛛の巣取り箒とか結婚のプレゼント用箒は分かりますが
 泡だて箒、きのこ取り箒なんていうのもあって、ちょっと想像を絶し
 ますね。
 少し歩いて Sea village へ。ここはコミュニティの住人による環境保護
 の取り組みが功を奏し、フォールスクリークの水質は着実に改善さ
 れ、彼らの家の近くの壁や岩場に、鳥、小魚、アザラシ、ムール貝、
 かき、ヒトデ等が餌を求めて来るようになったそうです。今アザラシ
 とその赤ちゃんが休息や授乳出来る低い棚、そして小型生物、藻類、
 甲殻類が生息する小型ドックの再建プロジェクトが進行中とのこと。
 このプロジェクトが成功したら、マリーナにさらに多くの魚、鳥、
 哺乳類が集まって来る。その様子見に来たいですね。
 

 これは子供向けの「海賊船」です。船上で宝探しやウオーターバト
 ル、水鉄砲で敵船を攻撃したりして、子供達が楽しんでいました。

     ボードウオークを歩いて行って.......

     やっとパリ祭の会場に到着。パリ祭は2時から5時までと、6時から12
     時までの2部に別れていて、昼は無料で夜は有料。私たちは昼の部。
     ちょうどW杯のフランスとイギリスの3位決定戦の日だったので、ス
     テージに大きなスクリーンがあり、みんなで観戦です。
     試合はイギリスが優勢で、あっという間に3点入れられてしまったの
     で見る気がしなくなり、会場を出て.....
     近くのコーヒーショップへ。楽しいお喋りをしている最中に、試合の
     経過を確認したら、なんと4対3とフランスも頑張っていると分かって
     また試合を見に。
     巨大なスクリーンが掲げられている所は観客でいっぱい。私達は網の
     外から観戦。結局フランスは6対4で負けてしまいました。ウンバッペ
     の活躍をもっと見たかったのですが残念!
     またパリ祭の会場に戻りましたけど......色々なパフォーマンスやダンス
     は皆夜の部のようで、イマイチ雰囲気g盛り上がらず、帰ることに。

     帰りはGranville Island から海沿いに出て、Sea Wall をOlympic 
     Village Station まで歩いて行きました。色とりどりの花や水辺の景色
     を見ながらの散歩。気持ち良かったです!
     
     今回パリ祭は大したことなかったけど、Granville Island の中を散策し
     ながら新しい発見をしたり、サッカー観戦を楽しんだりと贅沢な時間
     を過ごしてきました。

     ガイド役の雅子さん、今回もお世話になりました。
     







    2026年7月12日日曜日

    19回映画談義とおやつの会        (アラビアのローレンス)

     参加者6名

     皆さん毎回違ったおやつを持ってきてくださるので、とても楽しみ!
     今回は節子さんの日本からのお土産のお菓子もあり....食べきれないほ
     ど。お菓子を食べながらこのローレンスについて、話が盛り上がりま
     した。


     今月の映画の話題は、1963年に公開されたデビット・リーン監督、
     ピーター・オトゥール主演の「アラビアのローレンス」

     実在のイギリス陸軍のトマス・エドワード・ロレンスが率いた、
     オスマン帝国からのアラブ独立闘争を描いた歴史映画です。
     前編、後編とに分かれていて、上映時間223分。

    トマス・エドワード・ローレンス

     上の写真が実在のローレンスです。なんか主演のピーター・オトゥー
     ルに似ていますね。彼は中東専門の歴史学者であり、イギリス陸軍の
     情報将校。アラビア語や風習、部族社会に詳しいうえ、アラブ情勢の
     分析など、その現地理解の深さから、アラブ側と協力関係を築かせる
     役としてアラブに派遣されます。この物語の時は彼はまだ28歳の青
     年だったそうです。

     物語はローレンスのバイク事故死のシーンから始まります。これが事
     故であるのか、自殺であるのか.....
     史実では、彼は戦後名声を嫌って身を隠すように暮らし、心身ともに
     疲労していた。こうした背景から「自殺願望があったのではないか」
     と推測されたりしますが、あくまでも仮説で、決定的な証拠は見つか
     っていないようです
     

     第一次世界大戦中、イギリスはドイツ側について参戦したオスマン帝
     国に、アラブ人の反乱が起きれば、オスマン帝国軍はシリア方面に兵
     力を割かざるを得ず、スエズ運河などイギリスにとって重要なルート
     の防衛に有利になると踏み、ローレンスをアラビアに派遣。

     ローレンスは、ヤンブーでアラブの反乱の指導者ファイサル王子に
     面会し、独立闘争への協力を約束する。


     アル・ワジュからアラブの勇者50人を率いて、オスマン帝国軍が占領
     する港湾都市アカバを内陸から攻撃する為に、危険と言われている
     フド砂漠をへ。


     延々と続く砂漠を行軍中、カシムという男がいないことに気がついた
     ローレンスは、みんなの反対を押し切って、カシムを救うために一人
     で今来た道を戻り、無事カシムをラクダに乗せて帰還。彼のこの行動
     をアラブ人は歓迎し、喜び、彼を仲間として認め、アラブ伝統の衣装
     を身につけさせる。ローレンスが認められた感激の場面です。
     
     史実では実際に「一人のアラブ人が行方不明になり、ローレンスが探
     しに行った」というエピソード自体はあったそうですが、映画のよう
     に美談になったわけではなく、危険を冒して助けに行ったことを、周
     囲から非難され、笑いものになったとか。この場面を映画はドラマチ
     ックな美談として脚色したようです。

     
     ローレンスの相棒になったアリが、自分の着ているローブ(アラブ
     の男性が着る、足首まであるゆったりした長衣)をテントにして寝
     たのを見て、これぞ砂漠の民の知恵だと感心しました。アラビア半
     島の遊牧民ベドウィンは、ゆったりしたローブやマントを着ていま
     す。こうしたローブやマントは、日中は風通しをよくし、夜は体に
     巻きつけて毛布のように保温する。寝る時はローブを、簡テント
     のようにして風や砂から身を守る。と言った「1枚で何役もこなす
     道具」として使われてきたそうです。

     もうアカバ到着という時に悲劇が起こる。ローレンス側の兵士が
     味方になってくれたアウダの兵を殺してしまう。殺したのはロー
     レンスが助けたカシムだった。軍の統制と団結を守る為ローレン
     ス苦渋の決断でカシムを処刑。実在のローレンスも同じ状況で処
     刑した事もあったようですが、処刑した相手はカシムでは無かっ 
     たそうです。

     遂に彼の思惑通りアカバを攻略。
     アカバを占領したローレンスは、そのまま2人の少年を連れてカイロ
     へ。途中で少年の1人が流砂に呑み込まれて死ぬという事件があった
     が、無事カイロに到着。


     ここで新しいイギリス軍の将軍アレンビーと会談。アレンビーはロー
     レンスの功績を認めて彼を少佐に。しかしローレンスは少佐を辞退し
     その理由として、人を殺す行為に快感を覚えてしまったことを告白。
     戦争でいかに人間の心がすり減り、ねじれていくか教えてくれる場面
     です。
     1度はアラビア行きを諦めたローレンスですが、アレンビー等に説得
     され戦線に復帰することを決意。
     行くにあたって、「アラビアはアラビア人のものだ」という確認をす
     るのですが、誤魔化されてしまいます。

     イギリスはこの時同じ中東の土地について、
     「アラブの独立を約束」「列強で山分け」「ユダヤ人国家を支持」と
     いう両立しずらい約束、世に言う「三枚舌外交」をしていたのです


     後編は新聞記者のベントリーがファイサル王子の所に尋ねてくるとこ
     ろから始まります。
     ローレンスは、ベントレーのアカバ攻略や列車襲撃の記事によって
     「英雄」になっていきます。
     しかし不注意からトルコ軍の捕虜となって受けた屈辱や、仲間の死を
     通して戦いに幻滅。実在のローレンスも捕虜になって暴力を受け、
     の出来事で精神的に決定的な傷を負ったと告白しているそうです。
     映画の中でローレンスは、「普通の生活に戻りたい」と軍の上層部に
     訴え一旦任務を離れようとしますが........


     アラブにダマスカスを与えるという条件で、再びアラブ部族を率いて
     「ダマスカス攻略」に向かうことになります。
     帰ってきたローレンスを見て、記者のベントレーは彼が変わってしま
     ったことに気づきます。

     ダマスカスへ向かう途中、撤退中のトルコ軍を見つけたローレンスは
     戦略目的がダマスカス到着であるにもかかわらず、「捕虜を取るな」
     と虐殺命令を出してしまいます。そして彼自身も沢山の兵を殺してい
     きます。
     実在のローレンスも、撤退、脱走中のトルコ兵に対して非常に苛烈な
     攻撃を行ったことを、自分の回想録や報告の中で認めています。
     ただ映画ほどはひどく無かったと、その場にいた英軍やアラブ兵が証
     言しているそうです。

       
      ダマスカス占領後は、アラブ側による「アラブ会議」が開かれます

       が、民族間の対立や運営の未熟さから機能不全に陥り、部族は砂漠

       へとそれぞれ引き上げていきます。結局彼はアラブから身を引き、

       イギリスへ帰って行くところで終わりです。


       ロレンスは理想主義と行動力を持ちながら、政治の大きな流れを変え
       る事は出来ませんでした。彼の献身や犠牲に対して、戦後の中東は列
       強の都合で線引きされてしまいます。個人の善意やカリスマだけでは
       国家や国際政治の構造は変えられないという無力さを教えられたと同
       時に、戦争は人を英雄にも怪物にもしてしまう事も、この映画は教え
       てくれています。今現在起こっている戦争は、もっともっと破壊的。
       戦争をしてはいけないということを、この映画は私たちに語りかけて
       いるんですね。
       


      2026年7月9日木曜日

      ギリシャのお祭り             141回トランスリンクの旅

       日本からW杯サッカーの試合を見に節子さんが久しぶりにVancouver 
       に。短い滞在中に彼女がみんなに会えるように、ギリシャのお祭りを
       見に行く旅を計画したら.....なんと参加者が大人11人、子供が3人。
       びっくりするくらいの人数になりました

       10:00    Brighouse Station 集合
       10:09    CanadaLine  乗車
       10:27     King Edward Station  節子さんとミツコさんと合流
       10:35  King Edward Station  Bus #025 @Bay 3
       11:04  EB Kincaid St.@Boudary  


       お祭りが行われるギリシャ正教会に向かっている途中、お花が綺麗に
       植えられている家があって、その家の前で記念撮影です。
       肝心のお花がよく見えませんけど(笑)

       Sts. Nicholas and Dimitrios Greek Orthodox Church(ギリシャ正教会)
       ギリシャ正教会に到着。
       ギリシャ正教会は東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを中
       心に発展し、1054年の東西教会の分裂で、ローマ教皇庁を中心とし
       たカトリック教会と別れ、ギリシャを中心に発展。世界全体で見る
       とロシア正教会やセルビア正教会などと同じ「正教会ファミリー」
       の一員で、信仰内容や礼拝の形は基本的に同じだそうです。
       正教会といえば「イコン」ですよね。聖堂の中に入ると、祭壇や壁の
       所に、マリヤやキリストなどを描いた沢山のイコンが飾られていまし
       た。
       お祭りは11時にオープンなのに、会場にはほとんど人がおらず、閑散
       としているのでびっくり!数軒の出店と食べ物だけが売られていまし
       た。グリークダンスなどショーは、全て夕方から始まると分かってガ
       ックリしましたけど......

       節子さんを中心に話が弾み、お祭りとは関係なくみなさん楽しんでく
       れて助かりました。


       2時ごろまでおしゃべりを楽しんだ後、サッカーを見ながらちゃんと
       ランチを食べようということで、節子さんの息子さんが経営している
       「心ラーメン」へ。


       「心ラーメン」はお店もなかなか洒落ていて、サービスも良い上にと
       っても美味しく、W杯のフランス対モロッコ戦も少し見れて楽しめま
       した。ただみんなが一緒に座れなかったのが残念! 
       食事をした後、マクドナルドでティータイムです。
       宗一郎くんとは、彼が野球の試合に出るため、ここでお別れです。
       左下のカイルくん。カフェが大好きで、いつも自分で抹茶ラテを頼む
       のだそうです。小さいのにしっかりしていて驚きました。


       ここでも話に花が咲いて、時間の経つのをすっかり忘れるほど。
       熱っぽくサッカー愛を語る節子さんに影響されて、サッカーに興味な
       かった人たちまで、話に聞き入っていました。サッカーの試合は見て
       いる方も興奮するほど面白いのですが......節子さんも仰るように、
       ワールドカップ開催地決定や、テレビ放映権、スポンサー契約といっ
       た巨大な利権が、各国サッカー協会とその背後にいる政治家、実業家
       の思惑と重なり、国際統括団体であるFIFAは汚職の温床に。
       2015年にアメリカの司法省によってFIFAの汚職事件が摘発された事を
       思い出します。FIFAは表向き「政治とスポーツの分離」も掲げている
       のですから、政治との分離も守ってほしい!
       純粋にサッカーを愛する人達の為にも、今後サッカー選手になりたい
       と夢見ている子供達の為にも、FIFAに襟を正してもらいたいですね。

       今回は旅というよりも、節子さんを中心に楽しいお喋りの会でした。