2016年12月1日木曜日

♤生存率4%の世界を訪ねて            アルビノの僕とハッピーの出会い♤

     グローバル化が進む昨今、日本を訪れる外国人観光客は2000万人
     を突破しました。そして2020年に日本でオリンピック・パラリン
     ピックが開催することもあって異文化理解、多文化共生という言葉を
     よく耳にします。

     私 たちはこのような出会いの瞬間に数多くの「他者との違い」を目の
     当たりにすることがより多くなりました。目に見える違い・目に見え
     ない違いが当たり前に混 じり合うようになったのです。
     他者との違いは、国籍、言語、文化の違いだけでなく、肌の色や髪の
     毛の色、身体・精神障がいなど様々です。
     それぞれの違い は、それぞれの個性。しかし、時としてこのような違
     いは「マイノリティ」というくくりで周囲や当事者自身が捉えてしま
     うとコンプレックスや負い目に感じてしまうこともあります。

     私自身も2万人に1人という治療法のない遺伝性の疾患をもって生まれ
     ました。黒髪が "ふつう" とされるこの日本という国で、金髪であ
     るという見た目のマイノリティを自ら意識し、コンプレックスを抱え、
     これまで過ごしてきました。

     全身のメラニン色素を作れない、またはわずかしか作ることができな
     い常染色体劣勢の遺伝性疾患を「アルビノ」と言います。
     アルビノの人たちは、一般の人よりも色素が少ないために紫外線に弱
     い白い肌と明るい髪の毛を呈し、視覚障害を伴います。



     -写真は日本人のアルビノである私と2人のタンザニアのアルビノの
     女性(左から3人目と右端)、一人は髪の毛を黒染めしている-

     明るい髪の毛と白い肌による外見の違いに注目して私が生まれてき
     たときの両親の話とアルビノの割合が多いと言われているタンザニ
     アで出会ったアルビノの子供を持つ母親のお話をしたいと思います。

     ■ 1992年4月14日――私は両親と全く異なる容姿で生まれる――

     私の両親は2人とも純粋な日本人で2人の家系も外国人の血は入って
     いません。しかし、僕を含め2人の弟と妹は2人の両親と異なる髪の
     毛の色と肌の色をして生まれてきました。

     -女性の皆さん想像できますか?

     あなた自身とパートナーも日本人で黒い髪であるにもかかわらず、
     命を懸けて生まれてきた子供は髪の毛も色も肌の色も2人と全く異
     なるので。とても不安に思いますか、それとも怖く思いますか。

     -男性の皆さん想像できますか?

     自分が愛するパートナーが命を懸けて産んだ子供が自分達と全く異
     なる髪の毛と肌の色で生まれてきたら、その子をあなたの子供とす
     ぐに信じることができますか?

     -私の両親は、私が生まれたときにどんなことを思ったのだろう?

     24歳になった今、中学校の同級生は結婚し子供を産んだという連絡
     が増えてきました。(私の結婚はまだまだ先(笑))
     周囲から結婚、出産という話が出てきてこんなことを考えるように
     なりました。

     私の場合は生まれたときは健康そのものだったようなので、両親も
     嬉しかっただろうし、幸せに感じたに違いありませんがそれでも手
     放しで喜ぶことはなかったはずです。

     「この子をきちんと育てることができるだろうか」

     「長生きしてくれるだろうか」

     「保育園や学校に行ってちゃんと友達ができるだろうか」

     喜びと幸せと同時に多くの不安も持っていたと思います。
     私が生まれた1992年は、インターネットが一般に普及し始めた
     頃で家にパソコンもありませんでした。そして産婦人科医の間でも
     アルビノについての知識の 差もありました。アルビノは、2万人に
     1人という非常に珍しい疾患なので産婦人科でもアルビノの出産に
     立ち会った人はそれほど多くいないでしょう。
     産婦人 科医もアルビノをよく知らない中で周囲にアルビノ当事者も
     アルビノの子供を持つ親がいたわけでもなかったため、私の両親は
     行き場のないどうしようもない不 安を抱えていたのだろうと思いま
     す。

     結局、私の両親は私が生まれてしばらくは毎日欠かさず近所の神社
     に行き「目が見えますように。健康に育 ちますように」とお願いを
     していたそうです。そして、自分たちで専門書や医学書を読んで勉強
     をし、それでもわからない多くのことは実際の子育ての中で試行 錯
     誤の繰り返しだったといいます。

     私は幸運なことに、日本という世界的にみても豊かな国に生まれま
     した。そして両親のこれ以上ない愛情と子 育ての努力によってすく
     すく育ち保育園に行き、通常の学校に通い大学院にまで進学するこ
     とができました。ただ髪の毛が金髪ということもあり、街中や人混
     み の中で意図せずにとても目立ってしまいます。そして周囲から注
     がれる好奇な視線を煩わしく思ったり、居心地が悪い気持ちになっ
     たりすることも多々ありま す。

     「目立ちたくないぁ、みんなの目線を気にしたくないなぁ」という
     思いで、気づけば誰も私のことを知らない土地、誰も私のことを気
     にしない街を求めて定期的に海外を放浪する癖がついてしまいまし
     た。

     そして昨年の冬、ついに私はアルビノの人にとって「死の大陸」と
     言われているアフリカを訪れました。

     2015年12月にタンザニアのアルビノ支援団体で活動していた時に出
     会った生後6ヶ月のアルビノの赤ちゃんとその母親は私とは比較に
     ならないほどの困難に立ち向かっていました。
     私は当時、タンザニアのアリューシャという第三の都市を中心に活
     動する「Albino peacemaker」というホームページもないとても小さ
     なアルビノ支援団体でインターンをしていました。

     ある日、インターンでお世話になっていた人に「近所の孤児院にア
     ルビノの赤ちゃんが預けられているから会いに行こう」と言われ
      Neema Baby Home という孤児院を訪れました。



     ここは、生後間もなくして親に捨てられたあるいは何らかの理由で
     親と一緒に暮せない、AIDSやその他の感染症に感染するリスクが
     高い乳児から幼児までを保護する施設でした。アメリカ人によって
     運営されており約50人の子供達がそこで生活していました。
     タンザニアはアフリカの中でも比較的経済も発達し、治安も安定し
     ている方ですが、まだまだ孤児の問題は深刻です。孤児の多くは、
     無造作 に道路の脇、森、教会の門などに捨てられ親の顔を知らない
     ままに一生を生きていかなければなりません。
     
     子供達の中に一人、まだ生後6ヶ月の肌も髪の毛も白いアルビノの赤
     ちゃんがいました。
     
     彼女の名はクリスティーナ。

     多くの赤ちゃんが元気に寝返りをうったり泣いたりしている中で、
     蚊帳の中でぐずりもせず静かに眠っていました。そして、その横に
     彼女の寝顔を優しく見つめる15歳の少女がいました。

     彼女の名はハッピー。このアルビノの赤ちゃんの母親でした。

     彼女は一日中家政婦として働き、週末だけ娘に会いにこの孤児院に
     長い時間をかけて会いに来ていました。日本であれば15歳の時は
     ほとんどの女性がまだ中学校か高校に通って勉強している年頃です。

     しかし、タンザニアで会ったこの10代の少女は、18歳の彼女のパー
     トナーにも見捨てられ、家族にも見放され、自分の手ひとつでサポ
     ートを受けながら子育てをする生き方を選んでいました。
     ショックを受けました。

     その光景と彼女の瞳は、かわいそう、男性や社会、国に対する不信
     感をも感じさせる悲観的な表現だけで表せるものではなく、女性の
     強さ、したたかさ、というのも強く感じるものがありました。
     どうして彼女が、夫にも家族にも見放されてしまったのか。そこに
     はアフリカに未だに残る呪術の文化とアルビノの問題があります。

     タンザニアなどの東アフリカ地域の農村部では魔女と呼ばれる人た
     ちが呪術を使って村民の病気を治療したり、農業の豊作を祈る行為
     を行っています。そして、アルビノの人は「悪魔」として考えられて
     いて薬の生成やお守りを作るための「材料」として高値で取引をさ
     れています。

     このような習慣が未だに根強く残っている地域では、アルビノの人
     が襲撃され殺されたり、体の一部を切断されたりする「アルビノ狩
     り」が問題になっています。 最悪の場合、親や親類がアルビノの子
     供をお金目当てで殺してしまう、家族全員が襲撃され殺されてしま
     う、一族が全て村から追い出されてしまうということが起こってい
     ます。

     そして、彼らの多くは紫外線に弱いこともあり幼いうちに皮膚がん
     が発症してしまい若くして亡くなってしまうことがほとんどです。
     アフリカでは、アルビノの人は約96%がアルビノ狩りと皮膚がんが
     原因で、30歳までに亡くなってしまいます。

     多くのアフリカ人の心の中には、アルビノに対して「異なる外見」、
     「視力障害」だけでなく「短命」、「危険」、「呪い」といった暗
     いイメージが今も存在しています。

     ハッピーも例外ではありませんでした。

     彼女のパートナーである18歳の少年は「自分と髪の毛も肌の色も
     違うこんな子が、僕の娘であるはずがない」と言い放ち、彼女たち
     の前から姿を消しました。そして、彼女の家族は「そんな子供を家
     に置いておくと全員が襲われてしまう」という理由で母娘を村から
     追い出しました。
     そんな彼女たちを私のインターン先の団体が見つけ出しアルーシャ
     に連れてきて母親の仕事先を紹介し、クリスティーナの子育てを孤
     児院の人と一緒に行っています。

     今は、クリスティーナは高い塀に囲まれたガードマンが常に在住し
     ている孤児院に預けられており、元気に健やかに育っています。
     そして母親も安心して日々の仕事に集中することができ技能を磨く
     ことができているようでした。

     私の母が感じた不安とハッピーが感じた不安の程度や置かれていた
     状況は違えど、共通している部分があります。

     それは、「自分の子供をどう育てればいいのか。どうすればこの子
     の存在を社会に認められてもらえるだろうか?」ということです。
     そして、そのような問題を作る一番大きな要因は日本、タンザニア
     にかかわらず多くの人が「アルビノ」という言葉を聞いたことがな
     く、それ自体もよく知らない、わからないからでしょう。
     
     もし、子供が生まれる前にアルビノについて両親が知っていれば、
     医者が知っていれば、生まれてすぐに医者はアルビノについての正
     しい知識と子育ての適切な アドバイスをすることができるでしょう。

     母親がどうしようもなく誰に助けを求めていいかわからない不安を
     感じることは少なくなるはずです。父親が、外見が 自分と異なって
     いても我が子と素直に認められることができるはずです。

     「知らない」というだけで、大きな不安や逃げ場のない苦しみに苛
     まれることもあれば「知っている」だけで、誰かを守ってあげるこ
     ともできる。

     そして知った事実や自分の考えを周りと共有するだけで彼らの悩み
     や苦しみが少し軽くなることもあります。
     アルビノの当事者として、そして2人の母の姿を見てそう強く感じ
     ました。

     最後はハッピーが別れ際に寝起きでご機嫌斜めなクリスティーナを
     抱きながら笑顔でこう言いました。

     「ダ イスケ、私は今とても幸せよ。孤児院や団体の人に見守られ、
     サポートを受けながら働くことができいて、娘との何にも変えられ
     ない時間を過ごすことができて いるわ。今は、2人で生きていくた
     めに、娘を立派に育て上げるために頑張ることができる。この子を
     産んで本当に良かった。この子に出会えて本当に良かっ た。クリス
     には、私よりももっと素敵なママになってほしい。そのためにまず
     は彼女が学校に行くための貯金をしなきゃいけないの。それで彼女
     が立派な大人に なったら今度は私が学校に行くわ。だって私、文字
     も計算もできないまま母親になってしまったんだもの。
     この子に負けてられないわ。」



     この記事を書くにあたって久しぶりに孤児院に連絡を取ってみまし
     た。二人とも元気にピンピンしていて、ハッピーは孤児院に近く、
     より給料のいい仕事を見つけることができ、クリスと過ごせる時間
     も増えたようです。

     アフリカのアルビノ問題に関する報道の多くは襲撃などの暗いニュ
     ースであることがほとんどです。

     確かに彼らは日本人の私たちが想像もできないような経験をし、困
     難に直面しています。しかし、そうだからといって困難な人生を歩
     むことに違いはありませんが、不幸な人生とは決して言えないはず
     です。

     ハッピーとクリスティーナが互いに見せる笑顔は、日本人の親子の
     笑顔と何ら違いはありませんでした。その表情を見た瞬間に、私も
     思わず笑顔になりました。人種も文化もアルビノも超えた「人の美
     しさ、人間の尊さ」を垣間見た気がします。

     「違い」の中から「共通」のものを見出していく、紡ぎだしていく
     ことで喜びも悲しみも分かち合えていくのではないでしょうか。

     そんな素敵な瞬間が味わえるのが、これからの時代かもしれません。

     伊藤大介

     Diversity for Life から抜粋しました。

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