カナダに来る少し前まで小さな家付きの畑を借りて、
週末ファーマーをしていたというお話を伺いました。
お二人が借りていたのは
私には初耳の「クラインガルテン」と言う滞在型市民農園で、
これはドイツが発祥地だそうです。
「クラインガルテン」は市民を守る小さな砦、
「黒い森」は都市を守る大きな砦として、
環境を守る市民運動がクラインガルテン法を作り、
クラインガルテン協会を作り発展してきたのだとか。
日本でも非農家が増えその荒れ果てた広い農地を活用するため
今では全国津々浦々にこの「クラインガルテン」が出来ていて、
お二人はその一つで茨城にある
「笠間クラインガルテン」を5年間借りたそうです。
そのお二人の様子の一端が雑誌「畑道楽」に掲載されているのを
見せていただきました。
ここでは農機具も全て貸してもらえるし、
使い方も教えてもらうので困ることは何もなかったそうです。
無農薬のため虫にやられてしまうこともあったけど、
隣近所の先輩達からのアドバイスが随分役に立ったとか。
「同じ、野菜作りが趣味の週末ファーマー同士だから話も合うし、
ここではすぐに友人が増えていきます。
夜はみんなで酒盛りをやったり、
畑仕事の合間に近くのゴルフ場に出かけたりして」
朝は全員で体操したり、女性同士おしゃべりに興じたり、
とても楽しかったとおっしゃっていました。
ここで知り合った仲間達と一緒に、
近隣の農家から畑を借りて共同農場も作るほど
畑仕事にハマってしまったそうです。
お二人の話を聞いているうちにロシアの「ダーチャ」
に似ていると思いました。
「ダーチャ」とはクラインガルテンと同様、都市に暮らす人々が、
初夏から秋までの週末を過ごす菜園付きのセカンドハウスのことです。
トルストイやチェーホフといった帝政時代の作家の文学にも
「ダーチャ」は登場しますが、
当初は、貴族や豪商などの富裕層が田舎暮らしを楽しむ、
別荘的な存在だったんです。
ロシア帝国が崩壊して旧ソビエト連邦(1925〜1991)となり、
経済が崩壊して人々は食べるものにも事欠いていました。
1960年代になってやっとフルシチョフ政権が
一家族に最低600平米の土地を与えると言う法律を作り
現在は国民の60%がダーチャを所有しているそうです。
ダーチャの場合与えられるのは土地だけで、
建物や畑は自分たちで整備。
インフラも全てが整っているわけではありません。
そこに小屋を建て、畑を耕し、食べるために野菜作りをし、
長い冬を生きぬくために保存食を仕込み、加工してきたのです。
またソ連が崩壊する直前やロシアが発足してまもない頃は
ロシア国民は食糧の調達がままならず、
ダーチャは彼らが自活するためのまさに生命線となったのです。
ダーチャのおかげで戦争や飢えから身を守り
さらにロシア全体の自給率も支えてきたほど。
これがロシアの知られざる力となっているそうです。
自分たちで作らないとなんともならないという危機感とともに、
おばあさんやおじいさんが子供達と一緒に家庭菜園や料理などを行い、
家族間のコミュニケーションを育むという
楽しい要素もダーチャにはあります。
その楽しい要素が、ダーチャという自給自足の生活様式が
今も伝統として生き残っている理由なのでしょうね。
趣味として畑仕事を楽しむというクラインガルテンと違って、
ダーチャには生存を賭けた厳しい歴史がありますが、
生活が豊かになった今は、両方とも定年を迎える、
または迎えた人たちにとって、
老後を素晴らしいものにする制度になっていると思います。
またパンデミック以後の不確かな世界には
必要不可欠なものになるような予感がします。
紀夫さん佳子さんの素敵なお話有難う!
返信削除年を取って自然に触れながら生活を楽しむ 最後にたどり着く理想の生活はこう言う事なのかしれませんね。
育てた作物を囲んでお互いの知恵を交換しながら生活を楽しむ 私も憧れていましたが遠い夢になりました。
まずは健康で無いと始まりませんが。そんな彼等達なぜカナダに?
カズコ
Thank you for the blog with the story on Klein Garten.
返信削除I’m sure people enjoy learnjng about it !
Eiji
ありがとうございます。
返信削除クラインガルテンとダーチャの解説、とても要領よくまとめられていてわかりやすかったです。
佳子さんと紀夫さんの体験談を直接聞けるように、早くCharity Lunchを再開できると良いですね。
雅子