2025年2月17日月曜日

映画『3人の妻への手紙』         第4回 映画とおやつの会 


   今回は1949年に公開されたアメリカ映画「三人の妻への手紙」です。
   参加者は全員で12名。


     映画を見る前にまずは腹ごしらえです。



   お腹もいっぱいになったところで、いよいよ映画鑑賞。

3人宛ての手紙を受け取っているところ
 
   「この物語はフィクションで、誰かに似ていてもそれはただの偶然」という
   アディの語りから始まります。アディというのは三人の夫婦の友達で、夫達の
   マドンナ的存在。彼女はフィクションと言いながら三人の妻達の一人の家が
   出てくると「私に最初のキスをしたブラッドの家」と語り口がちょっと意味深
   に。3人の妻達がこのアディにモヤモヤした気持ちを持っていたところに
   「今晩あなた達の夫の一人と駆け落ちします」
   というアディの手紙が届き、さあ大変!みんな思い当たる節があるのです。
  
   これはアディが遠くに引っ越しするにあたって、みんなに仕掛けたイタズラと
   言うか、私はちょっとした意地悪なプレゼントだと思いました。
   と言うのは夫達は誰も彼女からアプローチを受けた形跡がないし、最後に夫の
   一人が「アディは子供だよ」と言うセリフで納得。
   おかげでみんな自分の悪いところを反省し、夫婦仲はより深まりメデタシ、
   メデタシと言うハッピーエンド。
   最後まで全く姿を表さなかったアディの「おやすみ、皆さん」と言うちょっと
   悲しそうな語りで終わりです。
   アディがもたらした夫婦の危機が、愛を確認する良い機会になったなんて
   ちょっと皮肉を効かせた結末でした。
   映画を観終わった後、皆さんから、夫達を演じた俳優が物語の設定より老けて
   見え、ちょっと不自然な感じがするという意見が。
   調べてみたら夫達の設定年齢は30代なのに、演じた俳優の実年齢は上の写真か
   ら44歳、42歳、33歳、特に真ん中のポール・ダグラスは、下手すると今の私達
   には50歳ぐらいに見えてしまうので、35歳の役は少し無理でしたね。
  
   映画のストーリーは面白かったけれど、、
   白人達だけの豊かな生活を見せる、いかにもハリウッド映画という感じ。
   私たちは小さい時からこういうアメリカの白人家庭だけが出てくるドラマを
   見させられていて。アメリカはとても豊かで素晴らしい国と一種洗脳されて
   いたような。本当はこんな豊かな生活をしているのは白人達だけで、その陰
   には、虐げられている黒人達が沢山生活しているのに、、。
   映画の中で街にも子供達のキャンプ場にも黒人の大人も子供も一人も出てこな
   いのを見て、改めてアメリカ社会の分断、人種差別を考えずにはいられません
   でした。
   
   

2025年2月9日日曜日

朋子さんからマプトの孤児院についてのお便り

   モザンビークのマプトにある孤児院の移転のヘルプに、少しでもお役に立ちたい
   と、皆様からご寄付をいただいたりして、寄付金を積み立て来ました。
   朋子さんもマルコスくんと連絡を取り、孤児院の状況を知ろうと尽力してください
   ましたが、マプトでは今洪水の被害と、政府に対する抗議デモで危険な状態になっ
   ていて、マルコスくんもなかなか孤児院に行けない状態でした。
   私もどうなっているのか心配していたら、今朝朋子さんからメールが入りました
   ので、皆様にご紹介します。

   こんにちは、カナダは寒いと思いますが、皆様お元気でお過ごしでしょうか?
   トランプ政権の急な対カナダ・メキシコ課税でカナダ側も混乱しているのでは
   ないでしょうか?

   さて、ようやくマルコスが希望の家に行けたそうです。マルコス曰く、皆無事だ
   そうです。また洪水する現在の土地から引っ越すべく、郊外にある新しい土地が
   見つかったそうで、そこへの引っ越しも徐々に開始しているそうです。

   その新しい土地は教会から寄付されたそうで、既に老人ホームや小さな学校
   (幼稚園?)もあるそうです。しかしシスターが住む家はないので、現在その家を
   含む施設全体の建設予算を査定している最中で、インドから直接来た地域監督の
   シスターの最終判断を待っているところです。

   全体予算の認証が得られても、まだその出資元は未定なので、皆さんからの支援
   はありがたい、と言っていたそうです。ただ、彼らには銀行口座がないので、ど
   う送金するか、考えなければいけませんが。

   ちなみに今週末、マルコスはシスター達の家のソーラーシステムを取り外すのを
   手伝いにまた行くと言っていました。

   以上、シスター達の最新情報をお送りしました。また新しい情報が入りましたら、
   お送り致しますね。


   話は変わりますが、前のメールでお送りしたお勧め映画「Adu」をいつか
   チャリティーランチの映画鑑賞会で観て下さい。しつこくてすみません…。

   この映画、前の朋子さんからのメールでも観ることを勧められていたのですが、
   あいにく私の家ではNetflix 契約していなくて、、、でも日本語の字幕版が出たら
   ぜひこの会で観たいと思っています。またNetflix を観られる方ぜひ観て下さい。

   では、皆様も寒さに負けずにご自愛下さいませ。

   渋谷朋子

2025年2月1日土曜日

映画「天井桟敷の人々」やっと観れました! 第3回映画とおやつの会

  
   今回は英治さんが頑張ってくださっての敗者復活戦です👏

   映画が観れると安心したのも束の間、当日は雪が降るという天気予報。
   会場を用意しながら何人の方が参加出来るか心配でしたが、、、
   朝起きたら雪は全然降っておらず、午後には晴れ間まで出て天気の神様に感謝!
   (次の日から2日間雪が降り続いたので、1日違っていたらと冷や汗😓)

   嬉しいことに参加者は私と英司さんを含めて12名となりました!


   無事映画が観られることになって、満足そうな英治さんの顔(笑)


   いつもの様にたくさんのおやつです。

   「天井桟敷の人々(Les Enfans du Paradis)」は第二次世界大戦の末期、ナチス
   占領下のパリとニースで撮影された映画で、あの時期によくこれだけの映画が
   作れたと感心してしまいます。
   撮影している間ユダヤ人である作曲家とデザイナーは隠れて仕事をしたり、
   90分映画しか許可されていなかったので、2部に分けたり、飢えたエキストラ
   が写真撮影する前に宴会の食事の幾つかを持ち去ったおかげで、その場面が
   撮影出来なかったりと、苦労が絶えなかったそうです。


   大勢の人達がひしめく大通りのシーンは圧巻で、戦時下でよく撮影が出来たと
   驚いたのですが、後でこれは全長400mに及ぶオープンセットで1500人の
   エキストラを動員して撮影したと分かり2度ビックリです!

左がジャン・パチスト・ドゥビュロー 右が映画のパチスト

   舞台は1828年のパリから始まります。このドラマの主要な登場人物の1人
   バチストのモデルは、この時代にピエロ役者として活躍したジャン・
   バチスト・ドゥビュローです。
   当時パリで大人気のピエロ役者だった彼は、パントマイムで独自の世界を
   築き上げ、現在のピエロのスタイルはほぼ全て彼の手になるものだとか。
   映画のバチスタと違って家族を大切にする人でもあったようです。
   休暇で妻と一緒に散歩をしていた時、酔った若者が妻に絡み、彼をピエロと
   馬鹿にしたので、思い余ってステッキで若者の頭を殴りつけ、死に至らしめる
   という事件を起こしています。裁判が行われた時パリ中の人々が駆けつけた
   そうで、結局彼は無罪になりました。しかしこの事件は彼の心に刻みつけられ、
   次第に暗いものを演じるようになって行ったそうです。

左がフレデリック・ルメートル 右が映画のフレデリック

   映画のフレデリックのモデルとなったフレドリック・ルメートルは俳優で、
   1823年7月2日に『アドレの館』で初演された劇の評判が悪く、度を越した
   ブーイングを浴びたので、翌日、前日に大通りで見かけたぼさぼさの顔の
   グロテスクな人物からインスピレーションを得て、自分の役柄をすっかり
   変えて演じ、劇は大成功を収めたそうです。映画にも同じような場面が
   ありましたね。彼は映画のフレデリックと同じようにオセロも演じています。
左がピエール・フランソワ・ラスネール 右は映画のラスネール
   
   ラスネールのモデルになったピエール・フランソワ・ラスネールは、犯罪者で、
   詩人。窃盗、詐欺、手形偽造、殺人などの犯罪を重ね、最後はギロチンで処刑
   されています。彼が普通の犯罪人と違うのは、子供の頃は聡明で勤勉、中学校
   で何度も優等賞を受賞。そんな彼が犯罪人になったのは、親から精神的虐待を
   受け家族、学校、長続きしなかった様々な職業を通じて社会に対して憎悪を持
   つようになったこと。その憎悪を特権階級に向け、彼らに抗議する為犯罪の
   手口や隠語を勉強し、いろいろな罪を重ねて行ったのです。
   遂に逮捕され裁判が始まった時、傍聴人は、彼の洗練されたブルジョワの身な
   りと、事細かに自分の犯罪について語り、死刑を要求するその弁論に魅了され
   たそうです。
   裁判から死刑執行に至る2ヶ月間、新聞は連日彼の話題を報道し、彼も歌や
   詩を投稿。上流社会の人達も含めて大勢の人達が彼に会う為、彼の独房の前
   に列をなし、そこで哲学や文学などを議論したというから驚きです。
   処刑の日、彼は自分を捕まえた警部に上品に会釈して挨拶し、ギロチンの刃を
   2度見し、「俺は怖くはないぞ」と呟きながら、しっかりした足取りで死刑台
   の階段を上り、ギロチンで処刑されたとのこと。
   彼の存在は19世紀の偉大な作家達に大きな影響を与えたそうです。
   こんな人が存在していたのですね。

   映画でラスネールが貴族のモントレー伯爵を殺した時、現場から逃げもせず
   不適な笑みを浮かべていた謎のシーンは、彼のしてやったりという満足の
   笑みだったんですね。
   

   映画を見終わった後、皆さんから感想や意見が活発に出て面白かったです。

   娼婦ガランスを巡る男達の恋の鞘当てを通して、男達の生き方を描いたこの
   映画、やっぱりフランス語が分からないと、脚本家のジャック・プレヴェール
   の意図が伝わりにくいですね。
   私自身映画を観たすぐの感想は、登場人物に感情移入出来ず、物足りない感じ
   がありましたけど、調べるとなかなか興味深い映画だということが分かってき
   ました。まだ観ていない方、19世紀のパリが観られるのですから、チャンス
   があったらぜひ観てみてください。



2025年1月20日月曜日

「天井桟敷の人々」を見るはずだったけど、、、 第2回映画とおやつの会

   2回目になる今回は、フランス映画史上最高傑作と言われる「天井桟敷の人々」
   を見る予定でした。
   「英治さんから「一番上等な修復映像版」をBluray に入れて日本から持って来
   たという報告と共に、50インチの大型テレビも我が家に届き、満を持して皆さ
   んをお迎えしたつもりだったのに、、、映画が見られないという事態になって
   しまいました(涙)

   今回の映画、3時間もかかるというので、参加者12名が11時に我が家に。
   

   この映画を見たいとおっしゃって、初めてこの会に参加してくださった敬子さん。
   90歳というのが信じられないくらい、文学や音楽の方面で活躍していらして、そ
   の気力には圧倒されました。



   ジェーン・オースティンの研究家としても知られていて、ご自身が翻訳した
   御本を持って来てくださいました。今読んでいるところですが、読み終わり
   ましたら他の方にも回したいと思います。読んでみたいと思う方、申し出て
   くださいね。
   ちなみに敬子さんはカナダが誇るピアニスト、John Kimura Parker とJamie 
    Parker のお母様です。


   映画が始まるのを待つ間、机に盛られたおやつに舌鼓打ちながら楽しいお喋り
   の時間です。


   見てください!このお菓子やケーキ、果物。お稲荷さんにサンドイッチ。
   見ているだけでお腹が一杯に。どれもこれも美味しかったです!


   私たちがお喋りしながら食べている間、英治さんは必死に映画がテレビの
   画面に映るように頑張っていました。


   結局英治さんの数時間に及ぶ奮闘の甲斐もなく、映画見られなかったー(涙)
   

   その代わりに英治さんの「Rumble in the Jungle」を見せていただきました。
   これはフィリピンの貧しいボクサーと英治さんの闘いの記録です。
   それと一緒にゴミの山で暮らすフィリピンの子供達やレストランの残り物を
   集めてその日の夕食にする一家などの悲惨な現実が映し出されていました。


   ボクサーが過酷なトレーニングを積み、体重制限でボロボロになりながら
   試合に臨み、運が悪ければ怪我をし、体を壊してしまう。試合で頑張っても
   不公平な判定がなされ、ファイトマネーも僅か。そんなフィリピンのボクサー
   が置かれている過酷な状況を動画でみた後、英治さんのお話を聞きながら
   フィリピンスラム街の貧しい家庭で育ちながら、ボクシングでスーパースター
   となったマニー・バッキャオのことが頭に。彼は上院議員になり、大統領を
   目指し、フィリピンの貧困を減らして治安を改善し、国の発展に寄与したい
   と願ったけど、大統領選で敗北。それでも自身の肉体を削り、傷を負いながら
   稼いだお金を貧しい境遇に置かれた世界の子供達に寄付しているそうです。
   なんか英治さんと似ていますね。


   英治さんに個人的な質問もしながら、みんな真剣に話を聞いています。


   今回残念ながら目的の映画は見ることが出来ませんでしたが、代わりに
   私たちの知らなかった世界を見させてもらって、いかに自分たちが恵まれた
   世界にいるか実感させられたひと時でした。

   英治さん、おやつも食べずに頑張ってくださってありがとうございました。
   そして映画が見られなかったのに、寛容な心で事態を受け止めてくださった
   皆さんに感謝です。次回は絶対見られると思いますよ。
   


 

2025年1月19日日曜日

☆三大陸を跨いだ2024年四半期☆      朋子さんのブログから

   新年、明けましておめでとうございます!2025年が皆様にとっ
   て、幸せと学びと感謝の気持ちに満ちた素敵な年となります様
   に。

   さて前回のブログの最後にお伝えしましたが、2024年の最後の四半期は異例の
   忙しさでした。

   まずはニューヨーク本部での教育分野の会議の為に13年振りにアメリカに出張。
   前回2011年に出張に行った際、数ヶ月停電が続くギニアビサウから漸くインフラ
   が整った文明都市に行ける!と喜び勇んで行ったら、皮肉にもその週にニュー
   ヨークに大規模ハリケーンが発生し、会議も半分キャンセルされ、街では店も
   地下鉄も閉鎖、路上はスーツケースを引いて避難する住民達。
   結局長い買い物リストも使われないまま、ギニアビサウにすごすご帰って行った
   苦い記憶があります。
   (当時のこのブログを参照:近代化の弊害@ビサウ&NYC | 
   せめて今回は何もキャンセルになりませんように…と祈りつつ、一方常夏の国
   に住み慣れていて冬服を持っていないので寒かったらどうしよう、と不安な
   気持ちでいざアメリカ大陸へ。


   着いてみると晴天に恵また為恐れていた程寒くなく、会議も予定通り進行。
   我々の団体の教育分野の最高責任者と世界の他の6地域から集まった地域教育
   アドバイザー達と今後の方向性などを話し合ったのですが、皆鋭い見解や
   アイデアを雄弁に話し感心。私も負けずに頑張らなきゃ!と思えるいい刺激に
   なりました。


   そして、このニューヨーク出張でのもう一つの醍醐味はオックスフォード
   大学院時代に一番仲良かったアルゼンチン人の友達と13年振りの再会!
   お互いこの間の人生色々あったのでそれを報告し合ったり、私の買い出しに
   付き合って貰ったりして、昔みたいに楽しい時間が過ごせました。
   夢と不安に溢れた若い頃に比べ子どもも育ちキャリアもある程度安定したこの
   年齢になるにつれて人生観も変わり、それでも変わらずざっくばらんに話せる
   友達ってありがたいなー、と思えた出張でした♪


   そして帰って来てすぐ今度はアフリカ大陸教育会議をモリタニアで開催する
   為の準備に突入。週末も返上し連日連夜働く激務の数週間が続いた挙句に、
   ヌアクショット(モリタニア・イスラム共和国の首都)入り。
   アフリカの30カ国近くから教育大臣と4カ国の首相に加え400人近くの
   参加者が集まった大会議で、その全体調整をする大役が、何故か大規模の
   国際会議を開催した経験のない私に回って来てしまったので、「私などに
   務まるかしら,,,?」と不安と緊張とプレッシャーに夜もろくに眠れない日々
   が続き,,,,.。とうとう会議が翌日に迫ったので会場を確認に行くと、何と会場
   の準備が全く準備できていず、「ヒエーー」と愕然!どうやら会議の垂れ幕や
   ロゴのデザインなどでアフリカ連合とモリタニア政府の意見が合わず、まだ
   設置許可が降りないそうな。流石にこれは私のコントロール範囲を超えている
   ので、「明朝までに解決します様に,,,,」と神様に祈りながらホテルに戻り、
   翌朝ドキドキしながら早めに会場に向かうと,,,,、何と前日までの混乱が嘘の様
   に、完璧に準備されていて狐につままれた気分!どうやら夕方に合意に至った
   後、関係者が深夜3時まで掛けて設置したそうな。それでほっとして調子付き、
   以後3日間の会議は大変ながらも最終的には成功裡に終わりました〜。ホッ,,,。


   会議が終わった翌日にはモリタニアの学校や青少年センターを訪問し、この
   国ではフランス語よりもアラブ語が教室で使われていることにビックリ。
   同じアフリカ大陸でもサハラ以南と北アフリカに挟まったモリタニアは結構
   別世界だなあ。


   ちなみにモリタニアは奴隷制の廃止が1981年と世界で最も
   遅かった国。平等社会までの道のりはまだ長そうです,,,,。

ウゼス


   何とかその大会議が終わった翌週、待ちに待った年末年始の休暇へ♪
   今回ほど身体が休みを欲していた事はなかったわ。
   という訳でヨーロッパに旧友を訪ねてフランス南部の石造りの城町ウゼスの
   モザ時代の仲間宅の暖炉の前で、朝から番まで美味しいフレンチ食を食べま
   くりお喋りしまくりまた食べまくり喋りまくりを繰り返す1週間を過ごしま
   した。

マドリッド

   フランス式の家族団欒のクリスマスに心癒やされながら。その後スペインの
   マドリッドに住む長年の友人一家を訪問。そこではスペインが世界を制覇し
   ていた頃の繁栄の面影に感心し、


   その後彼らの別荘がある最北西のガリシアという海辺の町に移動。
   そこでは都市マドリッドから一転して自然美しく長閑な雰囲気で、大西洋を
   見たり

サンチアゴ・デ・コンポステーラ

   近くのサンチアゴ・デ・コンポステーラというヨーロッパの巡礼ルートの到着
   地点の大聖堂を訪れて、歴史や宗教を肌で感じる年末年始を過ごしました。
   同時に家族と仕事をバランス良くこなす友人を見ながら、「これからは私も
   家族との時間をもっと大事にしよう!」と新年の抱負を決めたのでした。

ビルバオ

コルーニャ

   更にモザ時代の別な友達一家がモザの不穏な状況からビルバオに一次避難して
   いると聞きつけ、休暇最後の2日間はスペイン北部のビルバオへ。
   グッゲンハイム美術館で知られるビルバオはスペイン語と同時にバスク語も
   主要言語でスペイン北東部とフランス南西部にまたがる独特なバスク文化を見
   て、ヨーロッパ内にも国家を超えた多様性がある事に改めて気付かされました。

   という訳で、日本とアフリカ以外の国々にも久々に興味と愛着が湧いた2024年
   の最後の四半期でした!モザンビークの状況は心配だし、新年早々仕事も忙し
   くなって来ましたが、年末年始休暇で蓄えさせてもらった幸福感と感謝の気持ち
   を原動力に2025年も頑張るぞ〜!お〜!
  

2025年1月14日火曜日

モザンビークの現在の状況


   モザンビークは去年の12月15日、強力なサイクロン・チドに見舞われ、深刻な
   被害を受け、500人以上が負傷し、死者も73人にものぼったのに、1ヶ月も
   経たないこの1月にまた新たなサイクロン・ディケレディがこの国を直撃しよ
   うとしています。

   2019年の3月、アフリカ南東部をサイクロン・イダイが直撃。モザンビークの
   港湾都市ベイラの近郊では、1000人以上が死亡し、40万人が家を失ったと
   伝えられています。南半球で起きた気象災害としては、史上最悪の規模だそう。
   このようには毎年モザンビークに被害をもたらすサイクロンは、インド洋南部、
   太平洋南部で発生する熱帯性低気圧のことです。
   
   米フロリダ大学で熱帯性気圧の研究を行うコレネ・マティアス氏は被害の大部分
   は、風よりも洪水によるものだ。気候変動の影響で、平均気温が上がり、それに
   伴い以前より湿度が上がる。こうして大雨が降る確率が高まっていると。

   洪水の被害から回復していないのに、また洪水が起こるというこの負の連鎖を
   断ち切る為に、温室ガスの排出国が真剣に削減と吸収の対策に取り組んでくれ
   るといいのですが、、、
   

   モザンビークでは洪水の被害だけでも大変なのに、10月の大統領選挙で与党
   候補が勝利したと発表され、これに対して野党支持者らは選挙に不正があった
   と反発。今年に入っても抗議デモを続けていて、治安部隊との衝突ですでに
   56人以上が死亡。
   
   またこの混乱の中で首都マプトにある刑務所で暴動が起き、33人が死亡、受刑者
   ら1500人以上が逃亡したと言うことです。

   このように今国中が大混乱。朋子さんによれば、危険を鑑みモザンビーク人は
   家に籠り、外国駐在員なども一時的に引き上げたりしているとのこと。
   そんな状況なのでマルコスもマザーテレサの家には行けてないと思うので、
   電話などで状況を確認して欲しいと伝えたそうです。
   洪水は悪化する一方だと思うし、この政情不安に便乗した略奪の被害に遭って
   いないといいのですが、、、とみんなのことを心配していました。

   新しい年の初っ端から災難続きのモザンビーク。
   孤児院のことも3人娘たちや他の孤児たちのことも心配で、なんとか乗り切って
   行って欲しいです。他人事とは思えないこの災害。いつか私たちの身にも
   降りかかってくるでしょう。ロサンジェルスの火事のように。
   正しい情報を集め、生活を見直し、地域の気候変動対策に参加し、皆んなで
   声をあげましょう。