2025年8月24日日曜日

中央アフリカ、セネガル、スペイン、そして(Jだけ)カーボ・ヴェルデ  朋子さんのブログから

 前回のブログからまた色々あり、そして色々な所に行きました。
 そこで今回はこの間行った所と所感を書き留めてみました。

 中央アフリカ共和国出張


 中央アフリカに位置する内陸国の中央アフリカ共和国は、周囲を
 チャド、スーダン、南スーダン、コンゴ共和国、カメルーンに囲ま
 れていて、国土は約62万平方キロメートル、2024年時点の人口は、
 約535万人。
ブアールの古代巨石遺跡
 ブアールの古代巨石遺跡から紀元前3000年にはこの地域に人がいて、
 農業も始めた様子が伺われた模様です。その後5000年早送りし19世紀
 末頃当時植民地化で勢力拡大を目論んだヨーロッパ国の間で「アフリ
 カ分割」の際にドイツとフランスの取り合いを経て、20世紀前半は
 フランスの統制下におかれました。1960年に漸く独立しましたがその
 後は独裁政権が続き、1976年にはジャン=べデル・ボカサが国名を
 中央アフリカ帝国に変更し皇帝として統治しました。2004年にブッシ
 ュ戦争が始まり、和平合意後も2012年に再び内戦が勃発し、今日まで
 続いています。ウラン、石油、金、ダイヤモンドなどの豊富な資源を
 持ちながらも、世界で最も貧しい国の一つであり、2023年の人間開発
 指数では193カ国中191位でした。


 とそんなやや暗いイメージの中央アフリカ共和国の首都・バンギに到
 着すると、まず初めの印象は空港がまだ近代化されていないので、20
 年前のマリの空港を思い出し懐かしい気持ちに。町には3・4人乗りが
 当たり前のバイク・タクシーが主交通手段みたいで道にいっぱい。


 緑深い丘の上にはハリウッドを連想させるように「BANGUI」と文字
 が掲示されていて、思わず笑っちゃいました!で、一番肝心な中央
 アフリカ人は優しく明るい人たちで、なぜこんなに内戦が長く続い
 ちゃうのか不思議に思いました。同時に、まるで世界から取り残され
 たようなこの国にも。今の若者達が率いる時代になったら安定して活
 気ある社会になれるのかも知れない、とちょっと希望が持てたのでし
 た。

 日本での仕事&休暇:

 その後6月には地域ディレクターの日本出張もあった為、仕事も兼ね
 た一時帰国。初めの週は地域ディレクターに一部同行したのですが、
 西部中部アフリカを代表する彼の役柄と彼自身ペナン出身だという事
 もあり、この間「日本とアフリカの架け橋」の役割を果たせた気がし
 て大満足。

大坂万博モザンビーク・パビリオン
パリーポッターに出て来るホグワーツ城(USJ)

 その後漸く突入した休暇は、また健康診断や歯科治療など健康管理と
 家の大掃除や娘や姪達と万博やUSJに行って家族サービスに努め、同
 時に記者時代の先輩達と超久々に集まって刺激を受け、


  家族とカラオケに行って大笑いしたり、

 
 叔父叔母の豪華な引っ越し先で超久々の卓球大会で盛り上がったり、
 更に長年の旧友達とも再会して話しまくり、家族と友情の大切さを
 しっかり感じる事ができた日本滞在でした

 超特急スペイン&波乱万丈カーボヴェルデ旅行

ビルバオのグーゲンハイム美術館
 
 そんな日本からの休暇から7月半ばにセネガルに帰って来ましたが、
 その後ジュリアの学校の夏休みはまだ1ヶ月余っていた上私のキャリ
 アの今後の事で悩んでいた矢先、モザンビークの2世代仲良し仲間達
 がスペインの’ビルバオで集合すると聞きつけ、「君1ヶ月の休暇から
 帰って来たばかりなのに、また休暇申請するのか?」と上司に嫌味を
 言われながらも無理やり金曜日に休暇を取って、3日間の週末だけ強
 行でスペインに行って来ました!夜行便明けで金曜日朝に着いて、
 モザンビーク仲間とスペインで再会するという非現実な夢見心地で、
 そのままビルバオ市内を散策し、夜は友人宅に家族のディナーで団欒
 の一時。


 翌日は市外に出て自然保護区で森と川に囲まれた草原でピクニック。
 そこで寝転びながら食べて飲んでお喋りをしたり、人生相談をしたり
 して至福の1日を過ごせました。それで今後の私たちの人生の方向性
 もはっきりした感じ


 そんな超特急スペイン旅行から帰ってきたら翌週末は、今度はジュリ
 アがパパとパパ側家族に会いにカーボ・ヴェルデに11歳にして初めて
 の一人旅!ジュリアは行く数日前から一人で旅行する不安でパニック
 アタックの症状まで出て、私もちょっと心配になりましたが、パパ側
 はやる気&準備満々なので今更予定を変えるわけにはいかず、涙する
 ジュリアを一生懸命勇気づけて空港で送り出した時には、私も胸が
 割かれる思い....。それで無事に首都プライアに着いた夜、かかってき
 た電話で「ママに会いたい...」とまた泣かれ、私も目がウルウル...。


 翌日はプライアからパパがいる島サン・ビセンテに飛び、その夜掛か
 ってきた電話では兄弟や従兄弟に囲まれて、一転して楽しそう!
 「あ、これからご飯食べに行くから、ママまたね!」とあっさり切ら
 れ、私は一人取り残された寂しい気分。子供が巣立った後の「空の巣
 症候群」とはこういう心境なのでしょう。
 ちなみにその後サン・ビセンテ近辺に近年最大の熱帯嵐が襲い緊急事
 態令が発令され(Cape Verde Declares State of Emergency Following 
    Devastating Floods-The Voice of Africa)
 ジュリアが帰って来る予定だった便もキャンセルになり、2日後の今
 日もまだダカールには帰って来れていません....。
 来週中には帰って来れるといいのですが....。

 という訳で、移動が多く考え感じる事も多い3ヶ月間でした。ちなみ
 にダカールではタバスキとい羊を捧げるイスラムの祝日もあり、羊達
 をビーチで洗う様子は印象的でした。このブログをご精読頂き、あり
 がとうございました。
 

3 件のコメント:

  1. 朋子さん

    カーボベルデの水害はすごいですね。
    特にジュリアちゃんが行ったサン・ビセンテ島がひどいとニュースで知りました。
    ジュリアちゃん及び親戚の皆さんはご無事でしたか?
    そしてジュリアちゃんは無事帰って来られましたか?
    とても心配しています。

    被害がすごいと報道されていますが、皆さんのご無事を祈っています。

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  2. さとみさん

    ご連絡ありがとうございます!皆さん、お元気でお過ごしですか?

    はい、ジュリアは何とか予定より6日遅れでダカールに帰って来る事が出来ました!ご心配をお掛けして、申し訳ございませんでした。

    ジュリアのカーボベルデ側の家族も幸い家が破壊されるなどの直接の被害には遭わずに済んだそうです。

    ただ、島全体では学校が6校破壊されるなど、近年最悪の災害らしく、UNICEF も人道支援を始めています。

    優しくお気遣い頂き、どうもありがとうございました。これ以上心配掛けないように、ブログに追伸しておいた方が良さそうですね。

    では今度もよろしくお願いいたします。

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  3. 何はともあれ、皆さんご無事で良かったですね!
    でも、こういった自然災害が増えていますので、心配ですね!自然災害といっても、人間の自然破壊が直接又は間接的に原因になっている事が多いので、自粛しないと大災害に繋がる事もありますから。。。

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