2010年1月14日木曜日

♪マルコス君の実家訪問♪  朋子さんのブログから

      私のモザンビークの弟分マルコス君は、
     出産の際にお母さんが亡くなってしまった母親孤児。
     その後、継母に育てられる事になりましたが、
     その継母は彼の存在 が煩わしかったのか、
     マルコス君に暴力等の虐待をした為、
     このままでは彼の命が危ないと思った
     祖母が彼を孤児院に送ったそうです。

     それ以来、青少年期を孤 児院で過ごし、
     その後真面目に職業訓練校に進学して、
     既に24歳になるマルコス君ですが、
     幼少期に受けた虐待の傷は深く、
     その顔にはまだ継母に木炭で焼か れた傷跡などが残っています。
     にも拘わらず、彼のおばあちゃんやお父さんに対する愛情は深く、
     限られたお小遣いを貯めて
     年に一度はマプトから約300キロ 位離れた
     実家の村に里帰りしています。
 
      そこで、2009年の里帰りには、
     「好奇心の塊」トモコお姉さんも
     一緒に付いて行く事になりました。

     12月中旬の金曜日に仕事を午前中に片付け
     マルコス君の家に向かうと、
     実家へのお土産の米俵2つ位の穀類などを用意して
     準備万端で私を待っていました。
     「さあ、マンジャカゼ村まで、いざ出発!!」と
     大張 り切りで午後3時過ぎに出発。

     国道を北へ向かい約4時間、
     モザンビークで4-5番目位の都市シャイ・シャイに着きました。
     「よし、ここまで来れば、あと一 息だね。」と
     すっかりもう到着したかの様な気分でいたら・・・ 
     シャイ・シャイの町を抜けた途端、
     国道が穴だらけで道はボコボコ。
     しかも夜暗い中、街頭も ないの
     で穴を事前に識別する事ができず、
     いちいち穴に突っ込みつつ走っていたら、
     やはりとうとうタイヤがパンクしてしまいました。
     私はタイヤのパンクの治 し方を知らないのでどうしようかと思ったら、
     弟マルコスは免許も持っていないくせに何故か車の故障に詳しく、
     暗闇の中、チャッチャカ治してくれました。
     そ こで気を取り直して、再出発。

     今度はゆっくり運転して、やっと彼の村の近辺に来ると、
     案の定舗装されていない泥道に逸れ、
     そこから更に走る事30-40 分、
     電気も水道も来ていない村落部に入って行きます。
     「僕の家はもうすぐだよ。ここ曲がって。」と言うので、
     その通り曲がったら、「あれ?どこだっけ?」 と
     自分の家に行く道を忘れてしまったみたいで、
     グルグル迷う事更に30分。

     夜9時近くは村落部ではもう寝る時間なので、
     民家も暗く静まりかえっています。 
     やっと電話の電波が届くところに来たので、
     彼のお父さんに電話したら、
     迎えをよこすから待っている様に、との事。
     そして夜9時過ぎに漸くお家に辿り着いた のでした!
    
     マルコスの実家は典型的なアフリカの村にあり、
     電気水道はなく藁葺屋根に土壁のお家です。
     こんなに遅れて到着した私達の為に、
     マルコス・ファミリーは 夕飯を用意して待っていてくれて、
     家族総出で私達が夕飯を食べる様子を
     半分ウトウトしながらも見守って(と言うより観察?)くれました。

     また、長旅を労い バケツの水を薪で温めてくれたので、
     星空の下蝋燭の光を頼りに湯浴びをし、
     とりあえず就寝しました。
     ところが、夜中2時過ぎに、
     この風と虫が鳴く音しかし ない静まりかえった村に、
     耳をつんざく様な機械音が鳴り響きました!
     何かと思ったら、何故か私の車のアラームが鳴り出してしまっていたので、
     私は慌てて眼鏡も掛けずに飛び出てとりあえずアラームを消し、
     ホッとしたついでに屋外ボットンお手洗いに用を足しに行こうとしたら、
     歩いても歩いても辿り着けません。
     明りがなく暗い上、眼鏡を掛けていないので良く見えないので、
     林の中を30分位ウロウロ探し回りましたが、
     結局お手洗いは見つからず、
     それどころか家への 帰り方もわからなくなってしまい、
     独り途方に暮れてしまいました。

     「あ~あ、このまま夜は林の中で眠るしかないか」と
     あきらめて木の幹に寄り掛かって座ろ うとしたら、
     「お~い、姉さ~ん!」とマルコス君が救世主の様に登場!
     アラームを消しに出たまま帰ってこない私を
     心配して探しに来てくれたのでした!!

      そんなこんなで寝不足な一夜を過ごしたにも関わらず
     村の朝は早く、7時にはたたき起こされ、
     マルコスのお父さんとお祖母ちゃんとお茶を飲みました。
     お祖母ちゃんはポル語が話せないので、
     仕草で会話する様なものでしたが、
     とても優しい笑顔で
     孫達を大切にしている様子が伝わってきました。

     貧しいだろうに、 私達の為に鶏を殺して美味しいご馳走を作ってくれて、
     皆さんの心遣いが胸に染みました。
     村落部で素朴な、でもお互い支え合う幸せな生活を
     送っている様子が 印象的でした。

     お昼を頂いた後、マルコス君は暫くお父さんと語りあい、
     その後後ろ髪を引かれる思いで、
     皆にお別れを告げて、マプトに向けて出発したのでし た。

     その後数週間した年始、休暇から戻りマルコスに電話すると、
     いまいち元気がありません。「どうしたの?」と訊くと、
     何とお父さんが年明け早々、病気で 亡くなってしまったのです。
     従って12月に訪問したのが、父子最後の対面となってしまいました・・・。
     これで両親孤児になってしまったマルコス君。
     でもめ げずに頑張れ、
     何かあったらトモコお姉さんがここに居るからね!

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