2025年11月20日木曜日

学び満載リベリア、チャドとスーダンの国境、再度のアディスとマリ!          (朋子さんのブログから)

 アフリカの中でも非常に特異な背景を持つリベリア。アフリカで唯
 一、アメリカから帰還した解放奴隷が建国した国で、アメリカ文化
 の影響が強く、公用語は英語、国旗も米国旗に類似。12ー16世紀に
 サバンナ地帯から移住した先住民族が居住。15世紀以降、ヨーロッパ
 との交易が始まり、「胡椒地帯」と呼ばれる。19世紀初頭アメリカ植
 民地協会が解放奴隷を再移住させるため設立。1822年に最初の移住者
 が到着し、モンロビアを中心に植民地形成。1847年、アフリカ初の共
 和国として独立。首都モンロビアは米元大統領モンローに因むそう
 な。しかしアメリコ・ライベリアンが政治、経済を支配し、先住民
 を支配、差別。
 1878年〜1980年まで真正ホイッグ党による一党支配が続いたが、
 1980年に軍事クーデターで支配崩壊。1989〜2003年に民族間格差と
 権力とダイアモンド資源利権が原因で二度の内戦が発生し、約20万
 人死亡。国家は壊滅的被害。リベリアだけでなく隣国シエラレオネ
 の内戦にもダイアモンド利権を巡り介入し、数千の子どもが少年兵と
 して武装勢力に徴用され、世界的な人権問題に。その結果元大統領
 チャールズ・テーラーは世界初めて国家元首が国際法廷で戦争犯罪で
 有罪判決を受けました。

リベリア大学(University of Liberia)

 このような暗い近代史のリベリアなので恐る恐る行ってみると....プラ
 スにもマイナスにもびっくり満載。プラスとしては、暑いサヘル気候
 のセネガルから赴くと、緑あふれたサバンナ気候が快適で新鮮!また
 モンロビアは丘も多く、一際高い丘の上に西アフリカでも最も歴史が
 長いと言われる大学がありました。


 また教育省のお偉いさん達はアフリカ初の共和国としてのプライドを
 持って雄弁に語り、「さすが」と感心。ただそのプライドが邪魔して
 アフリカの他の国の例を出しても全く興味を示さないのはマイナス。


 それと教育分野においては他の国よりも非修就学児の割合が多いの
 で、原因を追求していくと何と小学校入学試験が未だに多数の学校
 で行われているそうな!また小学校は義務教育と定める一方、学費
 を払わなきゃ行けなかったりと矛盾があり、教育分野ではまだ課題
 が山積している模様。


 でも幸い、やる気に溢れた女性が教育大臣に就任して以来、「教室に
 戻ろう」キャンペーンを打ち上げて全ての子どもが教育を受けられる
 様に目標を掲げたので、私が出張に呼ばれた次第。そして一週間の最
 後の方には他の国の経験にも興味を示してくれ出したので、このまま
 やる気が結果に実現してくれるといいなー。


 リベリアの後は再度アディスアベバと再々度マリ出張を経て、先週と
 今週はチャドに長めの出張。アフリカ中央部に位置するチャドは、砂
 漠とサバンナが広がる国。その歴史は、人類の起源から現代の政治ま
 で、驚く事満載。チャドでは約700万年前の人類化石「サヘラントロ
 プス・チャデンシス」が発見されるなど、人類起源地の一つ。
 紀元前後にはチャド湖周辺でサオ文明が栄え、鉄器や陶芸文化が発
 達。
 9世紀になるとカネム王国が登場し、イスラム教を受け入れ、サハラ
 交易で繁栄。その後、ボルヌ帝国やワダイ王国などが台頭し、奴隷
 貿易やイスラム学術で中央スーダンの中心地に。19世紀末、フランス
 が進出し、チャドはフランス領赤道アフリカの一部に。第二次世界大
 戦では自由フランスを支持し、1958年に自治共和国、1960年8月11日
 に独立。しかし独立後は南北の宗教・民族対立が激化。1966年には
 反政府組織FROLINATが結成され、内戦が開始。1980年代にはリビア
 とのアオゾワ地帯紛争も勃発。1982年にイッセン・ハブレが政権を握
 り、1990年にはイドリス・デビーがクーデターで政権を奪取。
 デビ政権は30年以上続き、石油輸出で経済構造が変わるも、汚職や反
 政府活動は継続。2021年、デビが戦闘中に死亡し、以来息子マハトマ
 デビが暫定政権を率いています。


 現在は民主化への移行期にもあるそんなチャドですが、実は隣国・
 スーダンや中央アフリカからの難民を150万人近く受け入れている
 懐が深い国でもあります。結果約50万人のスーダン難民の学齢児童
 への教育支援で四苦八苦している中、最近スーダンの紛争の悪化に
 より更に12万人の難民がスーダンから逃げて来ると予想されていて
 大変そう。そこでチャド東部のスーダンとの国境近辺の難民を受け
 入れている地域に向かいました。砂漠に囲まれた滑走路も舗装され
 ていない小さな町・ファルシャナに着き近くの難民キャンプに行く
 と、見渡す限り難民が住むテントが続きます。


 その中に点在する学校ではアラブ語で学ぶ子供達が溢れていて教育意
 欲は高そう。ただスーダン難民キャンプにチャドの先生が赴任しても
 長続きしないのとスーダンとチャドではカリキュラムも違った為、結
 局スーダン人難民の先生が教えています。


 そうすると教員としてのお給料はチャド政府から出ないので、それを
 国連などが工面して来ましたが、財政がなくなった今後どうするか等
 を話し合いました。


 放課後には学校の近くでバレーボールをしていた青少年に加わり、
 40年ぶりにバレーして楽しかった〜!だけどボールを打った手が後
 で腫れちゃいましたが...。


 またスーダン国境では命からがら紛争から逃げてきた難民母娘がさめ
 ざめと泣いていました。紛争では男性は捉えられるか殺され、年頃の
 女の子は誘拐されるという話を聞いていたので、母親が私などの想像
 を絶する辛い思いをして来たのかと思うと私も涙が出て来ました。


 そんな忘れられないリベリアとチャド出張の間に、アディスアベバの
 アフリカ連合での国際会議で発表したり、


 3度目のマリ出張に行き、ガソリン危機のバマコで普段は渋滞の道路
 がガラガラな一方、ガソリンスタンドの近辺には車とバイクが1キロ
 以上の長蛇の列になっているのに心配したりして、慌ただしい数ヶ月
 です。その合間にジュリアとサーフィンのクラスを受けて、私も初め
 てちょっと波に乗れて「やった〜!」と喜んだ矢先にボートから降り
 た所にたまたまウニがいて踏んでしまい、左足がウニの棘で腫れて痛
 かった....。という訳で2025年後半も慌ただしく駆け回っている懲りな
 い私でした。


1 件のコメント:

  1. 一生行かないかも って国々の話
    いいですね。ありがとうございます♪

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