で、やっと2週間経ったところで久々に家から出て、
緊張の面持ちで再度コロナ検査に挑戦。
この結果には「今度も陽性だったら
この夏の一時帰国はお流れかどうか?!」が掛かっていたので、
ジュリアも私も真剣にお祈りして
PCR検査を行うクリニックにいざ出陣!
私が先にテスト受けたら
鼻の奥の奥まで綿棒を入れて丁寧にクルクル回したので、
それを見てジュリアは怖くなって大泣きを始めたので、
それを一生懸命なだめる事数分間。
優しく忍耐強い看護師さんのお陰で漸く検査が終わったので、
頑張ったジュリアのご褒美も兼ねて
海沿いのアイスクリーム・パーラーで
私はコーヒー、ジュリアはアイスパフェを海を見ながら楽しみました。
「自由で出歩けるって、何て幸せな事なんだろう…!」
と幸福感に浸りながら♪
例の如く結果は24時間後なので、
その夜は祈りつつも最悪の事態に心理的に備えるべく、
「仮にどちらかが陽性で私達はこの夏日本に一時帰国できなくても
大したことはない。
紛争や誘拐や不治の病で苦しんでいる人だって世界に一杯いる中、
こうやって安全で健康に生きていられるだけでも
ありがたいことなんだ。」
と自分に言いきかせながらその夜は眠りました。
翌朝PCR検査の結果が出る9時過ぎまで、
不安な気持ちでオンライン会議に出たりメール対応をしていたら、
メールでPCR検査の結果が送られて来ました。
果たして是と出るか非と出るか??とドキドキしながら開いてみると、
まず私は陰性!次にジュリアは…これも陰性!!
「ジュリア~、陰性だったよ!」とジュリアに行ったら、
「やった~!」と飛びついて来て、二人で抱き合って
涙浮かべながら喜びました!
そして今度こそ翌日日本に帰れることが確定したので、
改めてスーツケースの準備を始め、
私はコロナワクチン二度目の摂取に行ったりして
慌ただしく準備をすませ、翌朝漸く空港へ。
空港の入り口でPCR検査結果を点検する係員に
我々のPCR検査結果を意気揚々と提示すると、
3・4個のラボの名前を手書きしたリストと比べて
「この検査をしたラボは認可されたリストにないからダメ」
と言い出し愕然…。
いつからそんなリストが?!すがる様な気持ちで、
「でも昨日エチオピア航空に電話して確認したら、
特にラボに指定はないって言われた」と主張したら、
不満そうながらも渋々承諾し、
今度は内容を確認し始めたら
「この検査方法はもう許可されていない」と言い出したので、
「でも日本政府が入国の際に提示を求める
検査表では許可されている」と日本政府の書式を提示したら、
係員はそれを持って中に入っていき更に待たされること10分間。
半ベソ状態のジュリアに「大丈夫、きっと入れるから。」
と自らを慰める様に言い続けました。
やっと係員が戻って来たら、
エチオピア航空の責任者を連れてきたので、
その人に日本政府の書式を提示し、
「受入国の書式に沿っているのだから、
入国できない筈がありません。」と説明したら、
漸く入れてくれました。
中に入れた途端、またジュリアと安堵と喜びで抱き合いました、
目をウルウルさせながら!
その後、エチオピアと韓国経由で25時間以上掛けて、
何とか成田に到着。
飛行機から出るとコロナ対策で
長蛇の列になっていたので携帯を付けたら、
友達から「ねえ、モザンビークが
『入国・帰国者は到着後指定の宿泊施設で
3日間隔離滞在指定国』に入っちゃったよ、大丈夫?」
とメールが来ていて、
長旅の疲れに追い打ちを掛けられた様でもうグッタリ。
「日本に辿り着けただけでもありがたいんだ」
と自分に言い聞かせながら係員から配られた用紙に記入を始めたら、
モザンビークが指定施設隔離滞在の指定国リストに
入っていなかったので、
「あれ?」と外務省のHPをチェックしたら、
モザが入った新リストは翌々日から実施との由。
ギリギリセーフでした!
その後位置情報や検閲のモニタリングのアプリを
ダウンロードする手続きやPCR検査を受け、
その陰性結果を経て漸く空港から出られたのは
着陸してから2時間以上後!あ~、長かった~!!
日本の実家に到着したものの、2週間は自宅待機中です。
マプトでの2週間に続き、
今年は計1カ月自宅隔離生活をした事になります…。
でも、マプトで外界から遮断された生活に慣れていたせいもあり
特に苦痛でもないし、
家族と過ごすのが一番の目的で日本に帰って来ているので、
「同じ自宅隔離生活でも、大家族が傍にいるといないじゃ大違いだな~」
と実感しながら、
実家でブログを書いたり庭仕事したり子ども達と遊んだりしながら、
やっと辿り着いた夏休みを過ごしています♪
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