セネガルに赴任して1ヶ月ちょっとが経った9月中旬、
漸く新居も落ち着き仕事にも慣れて来て
「これからエンジンかけて行くぞ~」と思っていた矢先、
「コンゴ民主共和国の東部の政情不安定な地域で学校が閉鎖されていて
教育の人道支援が必要。NY本部から教育局長が現地視察に行くから
同行せよ」という出張命令が。
ジュリアが生まれて以来これまでの出張は、ジュリアを一人で
置いてけぼりの時間をできるだけ最小限にすべく、
大体2-3日で長くても4-5日でしたが、
今回は旅行時間も長いのもあり、これまでの倍の9日間…。
まだ赴任して間もなく、ジュリアが気軽に泊まりにいける
お友達もいないので、「留守の間、ジュリアをどうしよう?!」
「あ、それにロビン(新入りペット犬)もどうしよう?!」と
半パニック状態。
はじめはダカールの反対側に住んでいる親友宅に
預かって貰おうと思いましたが、そうすると
学校までとても遠くなり通うのが大変で無理。
結局、お手伝いさんに不在の間泊まって貰う事にしました。
まだあまり慣れていないので、事前に9日分のスケジュールを
時間単位で組み出発前に綿密に説明して、
更に出張の間にビデオ電話できる様に彼女の携帯にWhatsup
(日本でいうLINE)を設置して、いざ何かあった時の為の
連絡先や指示も残して、胸が割かれる様な思いで空港に迎いました。
1.5日掛けてエチオピア・アディス経由の旅。
「コンゴは初めてだし、ボロが出たら大変」と緊張しつつ、
アディス行きの10時間以上のフライトでは
一生懸命に資料を復習しました。
そして乗り換えのアディスではNYから来た教育局長と
落ち合ったのですが、現場視察の出張日程やコンゴの政情や
私が担当する地域での教育事情などを早速質問攻めにされて、
本格的に出張が始まる前から私はもうタジタジ。
「この出張を最後まで、無事に全うできるかしら…」と
不安な気持ちにめげそうになりながらも、
「今自分に自信が持てなくても、これまで私を信頼して
評価してくれた人達に応えるべく、頑張ろう!」と
自分で自分を励ましながら、いざゴマの空港に降り立ちました。
コンゴ民主共和国は国土は世界11位で人口も日本と大差ない世界14位で、
更に鉱山資源が豊富でプラチナやマンガンは世界1位。
その他に金、銀、銅、コバルト、ダイヤモンド、ウラン、ボーキサイト、
鉄鉱石などが埋蔵される世界有数の鉱産資源国。
しかし同時にこれらの資源を巡ってか争いが絶えず、
この土地では独立後も政情不安定は続いています。
特に東北部のキヴ州では反政府武装組織がこれらの鉱物を資金源と
している為もあり、今日に至るまで紛争が後を絶ちません。
結果、こんなに鉱山資源が豊富でもその恩恵を受けているのは
支配層の限られた一部のみで、国全体の人間開発指数は191カ国中179位。
まさに富という呪いにかかってしまった感じです。
人は明るく町も賑やかで、やや拍子抜け。
ただ道路に穴が空いていたりとインフラが整っていず、
そのせいと交通ルールを守らない運転手が多いのとで、
渋滞のひどさにびっくり。
これに比べるとダカールの渋滞は可愛いものでした。😅
そこで到着当日は安全管理ブリーフィングと知事との会見に参加した後、
翌日は防弾車に乗って反政府武装組織が支配する地域に迎いました。
舗装されていないボコボコの道に所々軍隊がパトロールしている横を
通ってゴマから2時間位北上するとセキュリティーのチェックポイントが
あり、そこを越した向こう側は反政府武装組織が支配している地域。
どんなに荒れ果てた様子かと思ったら、
どちらかと言うと普通のアフリカ村落部の風景。
唯一違うのは路上で所々パトロールしているのが、
政府の軍人ではなくて反政府武装組織の軍人という所。
それもブーツの色が違うから何とか違いが分かる程度。
武装組織の紛争のせいで学校が1年以上閉鎖されているという地域。
そこで幾つかの学校を訪れてみると、何と校長と先生達と父母会が
自らの判断で最近学校を再開しており、
「去年閉校されたせいで、子ども達も苦しんだし、
望まない妊娠が増えて我々も困った。
だから、今年は何としても学校を再開しようと決めたんだ。」と
決意の過程と心境を校長や父母会長が打ち明けてくれました。
子ども達も嬉しそうに登校して来ていて、
「もう閉校しないで我々が勉強できる様に支えて下さい」と
訴えてきました。こういう状況でこそ私が所属する団体が
役に立てるので、久々にやる気が奮い起てられました!
そしてゴマに戻り、ゴマの教育担当長に現場で目撃した状況を報告。
すると始めは半信半疑だった担当長さんも
「子ども達の最善を考えて支援して欲しい」と言ってくれ、
我々の出張をきっかけに状況が進展しました!
これ以外にもこれらの紛争地から逃げて来た避難民のキャンプに
おける教育現場を訪問したり、その後首都キンシャサに行って、
教育チームに会ってこれからの活動方針について話し合ったりして、
最後まで充実した出張でした♪始めはあんなに不安で嫌々だったけど、
結果的には学びも多く一回り成長できた貴重な機会となりました。
ちなみにキンシャサは高級ホテルに高級車が乗り付け着飾った
お金持ちっぽい人達が集っていたりして、
ゴマの村落部との貧富の差を目の当たりにしたり、
キンシャサの川を挟んだ向こう側にはフランス領となった
ブラザビルのビル群が見えて、でも国交問題のせいか橋は通行止めに
なっている状況に疑問を感じました。
一方、ジュリアは始めの数日は夜テレビ電話で話す度に涙ぐまれて、
私も申し訳なさにくじけそうになりましたが、
4日目位からお手伝いさんとも打ち解けたせいか、
そんなに寂しそうでもなくなり、ひとまずホッ。
不安でも勇気を出してやってみれば何とかなるもんですね。
という訳で、「ピンチはチャンスにもなりうる!」
と実感したコンゴ民出張でした。
朋子さんのコンゴの記事、とても興味深く読みました。
返信削除朋子さんの記事から、未来は教育を受けた子供たちの努力に頼るしかないのを感じます。アフリカに限らず後進国だった国は、いずれも国を宝を独り占めにしようとする一群の人間たちに振り回されて先へ進めない、多数の人たちはいつまでも貧乏に苦しむ、この悪循環をどうしたら断ち切ることができるんでしょうね。
朋子さんのような立派な人たちも大勢いるのにね。