ケニアに赴任して早3カ月(内1カ月は日本に夏の一時帰国していま したが)、ようやく生活リズムも整って来て、ナイロビ地元民の気分 になって来ました。ジュリアも新しい学校に順調に溶け込めた様だ し、その上新しく住み始めた団地内で同年代の女の子と仲良くなった ので、学校から帰ってきたと思ったら玄関にリュックを置いてまた遊 びに出て行っちゃう始末。娘にとって5回目の引っ越しなので「今度 は大丈夫かな?」と心配でしたが、こんなにスムーズに新地に馴染ん でくれて、ひとまずホッ。また、この団地は私にとっても快適で、毎 朝愛犬・ロビンの散歩がてらジョギングしたり、部屋のベランダから 隣の林を見ながらくつろいだり、久々の庭付きの家なので園芸を始め てみたりと、最大減楽しんでいます。
 | | 国際連合ナイロビ事務局 |
一方、職場の方はこれまでから大変化。ケニアの事務所は国連機関が 全部集結している大きなコンパウンド。これまで赴任して来た国では (ギニアビサウを除き)其々の機関の事務所が町の別な場所にあったの で、一同に集う事はあまりありませんでしたが、ナイロビではこのコ ンパウンドに全機関が入っています。また森に隣接している為、緑豊 かな上猿やリスや野鳥なども多く、出勤しながら自然と触れ合えま す。

この様に職場の屋外では快適なのですが、事務所内に入るとこれまた ま激変。15年前にチーフ職に就いて以来、大小差はあれ一応個室を 使えて来ましたが、ここの事務所はオープンスペースでしかもホット デスク制で各自決まった机などありません。しかも常に誰かが出張な どで留守にしている事を想定し、75%のキャパで計画されている為、 教育チームは15人のスタッフに対して10台の机しかありません。 出勤したらどれか空いている机を使う「早い者勝ち」制なので、たま たま多数が出勤した日は机にあぶれる人が出てきてしまいます。 実際私も先週机にあぶれ、廊下や庭で仕事するという「事務所内IDP (避難民)」となってしまいました…。
 | | トゥルカナ湖 |
おっと、ケニアの事を書いていませんでしたね。ケニアは実は植民地 時代よりはるか昔、紀元前の人類の足跡から始まります。現在のケニ ア北部にあるトゥルカナ湖周辺では、人類の祖先の化石が数多く発見 されており、この地は「人類発祥の地のひとつ」とも呼ばれていま す。紀元前から各地で狩猟採集民が暮らし、その後、牧畜や農耕を営 む人々が移り住むことで多様な民族社会が形成されました。 やがてインド洋沿岸ではアラブ、ペルシャ、インドの商人たちが行き 交い、交易によってスワヒリ文化が花開きます。19世紀末になるとイ ギリスがこの地を植民地化し、ウガンダ鉄道の建設とともに近代化が 進む一方で、土地の収奪や人種差別への反発も強まりました。1950年 代のマウマウ蜂起は独立運動の象徴となり、1963年、ジョモ・ケニヤ ッタを初代大統領としてついに独立を達成します。その後は民族や地 域の多様性を抱えながら国家建設を進め、民主化への試行錯誤や経済 発展を経験してきました。そして今日のケニアは、野生動物の楽園と してだけでなく、モバイルマネー「M-Pesa」や急成長するスタート アップ企業が集まる「シリコン・サバンナ」としても世界から注目さ れています。悠久の人類史から最先端のデジタル社会まで、そのすべ てが一つの国に共存していることこそ、ケニアの最大の魅力なのかも しれません。(AIより引用)

そんなケニアで先日私の誕生日を祝して、モザ時代やセネガル時代の 友人仲間を招き、(年甲斐もなく)誕生会を開いたり、
週末にはジュリアと友達も連れて人生初でキリンに餌をあげに行った りしました。 ちなみにそこに連れて行ってくれたタクシーの運転手さんと話してた ら、ケニア人なのに一度もキリンを見た事がないと言うので、「それ は困る。じゃあ一緒に見に行こう!」と一緒にキリン園に入ったら、 彼も大喜びで写真を一杯撮って、村落部に住む妻や子供たちに嬉しそ うに送っていましたよ。 ちなみにこの間一時帰国した日本では1月に手術をした母親の健康が 心配で、その事が最優先の休暇となりました。幸いまた元気を取り戻 している様ですが、年を取るのは自然な事。親も自分も永遠に健康に 生き続ける訳じゃないんだ、これまで健康に無事に生きて来られた事 がありがたいんだと今更ながら痛感。残された家族との時間を大切に しなきゃいけないな~、としみじみと実感した日本休暇となりました。
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