前回書いたコンゴ民主共和国への出張から帰って来てから、
いくつかの会議準備・執行に追われ数週間が過ぎ、
それらが一段落したと思ったら、次の出張要請が来ました。
今度は英語圏のシエラレオネ。
北はギニア、南はリベリアと国境を接っする西アフリカの国。
近年ではレオナルド・ディカプリオ主演の「ブラッド・ダイアモンド」で
舞台となって知られる様になりましたが、
その映画でも描かれた悲しく過酷な歴史があります。
1808年に奴隷制から解放されたアフリカ人の移住地として
イギリスの植民地となり、イギリスのほかジャマイカ及び他の
イギリス領の西インド諸島や、アメリカ大陸からの
解放奴隷達が入植しました。
そして世界大戦後1961年に独立しましたが、
残念ながらクーデターがたて続き勃発し、
1991年にはダイヤモンド資源をめぐって隣国のリベリアから
支援された反政府軍による内戦が始まりました。
その内戦はかなり残酷だったことで知られていますが、
その内戦もようやく2002年に終わって、その後は民主的な選挙が行われ、
政治的には比較的安定して来たと思ったら、
2014年には今度は隣国ギニアから感染したエボラ出血熱で
打撃を受けてしまいました。
従って、シエラリオネの今日の安定はかなり近年のことな訳です。
ちなみに現政権はここ6年ぐらい政権に着いていますが、
アフリカでも斬新的な方で、若くて創造的な人材を敎育大臣に抜擢し、
大胆で新鋭な政策を策定・執行するなど、アフリカ諸国の中でも
注目を受けています。
(注)シエラレオーネの大統領はジュリウス・マーダ・ビオ
1996年国家最高指導者として君臨していたストラッサーを
無血クーデターで追放し、国家最高評議会議長に就任。
しかし同年職を辞し、アメリカへ。
1999年にアメリカのワシントンDCにある大学で学び、
国際関係学の修士号を取得。
その後イギリスに渡り、ブラッドフォード大学の上級研究員として、
平和研究の哲学博士号の取得を目指していました。
2018年にシエラレオーネに帰国し、大統領選に立候補し、当選。
ピオ政権は汚職撲滅を掲げ、社会分野では教育セクターを重視、
経済セクターでは農業セクターを重視する方針を打ち出し、
鉱物資源に過度に依存した歪な経済からの脱却を試みています。
2023年の大統領選挙で再選されました。
そんなシエラレオネにいざ行ってみると、飛行機の中で
周りに座ったシエラレオネ人の乗客はアメリカ英語を喋り、
いかにもアメリカに留学や商談しに行った様な人が多く新鮮でした。
何しろ、これまで仏語・ポル語圏ばかり赴任していた
私の周りの人の留学先はヨーロッパが殆だったので。
そしてもう一つびっくりしたのは、
首都フリータウンの飛行場に到着した後、まず飛行場からバス亭で
バスを待ち、バスに乗って港に行き、そこで待つこと更に数十分、
やっと来た船に乗って1時間近くかけて湾を横切って、
やっと着いた埠頭から車に乗ってホテルに行かなきゃいけず、
結局飛行場に着いてからホテルに着くまで3時間ぐらいかかるという、
とても大変な交通状況にびっくりしました
そもそも、そのシエラリオネに出張に行くことになったのは、
そこでこれから始まる教育分野での改革的なプロジェクトに
私の所属団体が政府に連携支援することになったからです。
そこでそのプロジェクトが始まるのと同時に、
地域敎育アドバイザーである私がプロジェクト立ち上げ会議に
参加するために招集されました。
その会議には教育大臣や参事官など、政府のお偉いさんも
参加していてかなりハイレベルの会議でしたが、
シオラレオネ文化はとってもオープンで明るく、
会議の間に偶々誕生日だった参事官のお祝いを踊ってするなど、
他所者の私でも楽しく(?)参加させてもらえました。
そんなところもアメリカ文化の影響を受けているんですかね。
ただ、政府の斬新な方針も、現場の官僚はペースに着いていくのが
やっとみたいで、政策と実施の隔たりを狭めるのが
課題かも知れないな、と思わされる一面もありました。
そんなシエラレオネ出張も無事に終わり、
それ以降は年末までどうにか順調に終わり、
セネガル赴任して最初の5ヶ月を無事に全うして、
激動の2023年を閉幕することができました。
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