ギニア ・ビサウからブルキナファソに
引っ越しする時の事を書いた記事を掲載するのを忘れていました。
この記事を読むと、朋子さんが如何に一生懸命仕事をしたか、
一緒に働いた人達に愛されたか……
朋子さんの人柄が良く分るので、是非皆さんに読んでもらいたいと
遅ればせながら 掲載しました。
朋子さんの人柄が良く分るので、是非皆さんに読んでもらいたいと
遅ればせながら 掲載しました。
さとみ
A mini-bus full of my stuff, in front of my house in Bissau! |
前回ブログを書いて以来かなり沢山の事が私の人生に起こり、
結果ブログを書くのが遅れてしまいました。
最大のイベントは、
9月末に転勤でギニアビサ
ウからブルキナファソに引っ越した事!
今までの任地であるブルンジやモザンビーク同様、
ギニアビサウも最後の数週間になると一層愛着が湧き、
これまで以上
に現地の友人や同僚達が愛しく思えました。
特にそう感じたのは、ある日教育大臣と教育省高官達との会議の際、
所長が私の転勤を報告すると、その場にいた高
官の1人が
「トモコの存在は今この国の教育分野に必要だから、
どうか彼女の転勤を取り消して貰えないか」と言ってくれて、感動しました。
また、別な高官は 会議の後に改めて私に電話をくれ、
「実は君が転勤しないでここに残れる様に、努力しようと思う」
と言うので何をするのかと思ったら、何と「ビサウで一番効
く」と
評判の呪い師にお願いに行くんだって!
それはお金の無駄遣いだから止めた方がいいと言ったのですが、
それじゃ気が収まらないらしく、結局お呪いに
行ったそうです…。
(でも結局転勤したから効果なかったって事ですが。)
また、ある晩は所長と最後の夕食の約束があったので、
ジュリアを連れてラフな格好で行ったら、
何と私に内緒で豪勢なお別れ会を企画してくれていて、
教育大臣を始め教育省の高官達や教員組合や学生連盟の会長さん達や
他の国連機関やNGOの同僚達など、総勢40人位が
ズラーッと座っているではありません
か!
びっくりする間もなく夕食会は始まり、
食べ終わった後何人かがお別れの言葉を下さいました。
特に教育省の計画局長のおじさんは、
「トモコとはとても強
い信頼関係を築け、沢山の仕事を一緒に
こなす事ができた」と話してくれている内に感極まってか男泣きを始め、
それを見て私や他の参加者も泣き出してしまう
始末…。
「この仕事を通して、こういう素敵な人達と知り合えて、
生まれてきて良かったな~」と、しみじみ思えた一晩でした。
一方、子連れの国外引っ越しは物理的に大変そうだな~と
気が重かったのですが、毎晩仕事の後に帰宅すると
なるべくジュリアの為には通常を装わなきゃ
いけないと思ったので、
結局引っ越し準備は何も進まないまま9月も中旬になってしまいました。
「これはいい加減やばい!」と思って国際的な引っ越し会社に
見積りを頼みましたがなかなか返事が来ないので、
現地の知人にダメ元で相談したら、
「じゃ、知り合いのトラックの運転手に頼むから、何とかなるよ」
と楽観
的な返事が。その数日後にその運ちゃんを連れて
家に荷物の量を見に来たら、ただパッと見ただけで
「大丈夫、数日でブルキナまで持って行けるよ」と簡単に返
事するので、
「本当かな?」と半信半疑で約束の日に荷造りをして待っていると…
来たのはトラックというより中型バスで、それに荷物を山積するそうな。
それ
で4人がかりで我が家から荷物を運び出し、
「こっちを先に積んだ方がいいよ」「いや、あっちだ」と
あーでもないこーでもないと議論しながら私の荷物を
バス
の中や上(!)に積み込み始め、そこに隣の大家のおばさんが
たまたま玄関先にいただけなのに何故か
「その積み方じゃ落ちそうでダメよ、もっとちゃんと結び
なさい!」
と指図を始め、一度積んだ荷物を下ろしてまた積み直したり
しながら結局1日がかりで積荷終了~。
バスの上にこんもり積まれた私の家具があまりに
西アフリカっぽくて
滑稽だったので、記念撮影までしちゃいました!
そんなこんなでバタバタとギニアビサウ最後の数週間を過ごし、
9月30日に飛行機に乗り遠ざかるビサウの町を見ながら、
やっと出発するという実感が湧いてきて、例の如く
「いつかまたここに帰って来て、ここの人達の為に働けますように…」
と神様にお祈りしたのでした。
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