朋子さんが住んでいるのがワガドゥグ(首都) 朋子さんが出張したのはドリ(サヘル州の州都)とサヘル地域です。 |
先日ジュリアが一歳になったのを機に、妊娠以降これまで慎んでいた泊りがけの
地方出張を漸く再開す ることにしました。
そこで早速3月頭にブルキナファソ北部のサヘル地方へ3泊4日の出張を計画。
ジュリアはまだ授乳しているので、ジュリアとベビーシッ ターさんも一緒です!
1人だと慣れているので出張の準備はものの10分でできますが、ジュリア達も一緒
となると話が違ってきます。
例えば、出張中の内容。 出先・ドリから未舗装道路で200キロ離れた難民キャンプを
訪問するのに、本来だったら泊りがけで行く所、赤ちゃんを受け入れられる様な
まともな宿泊施設 がない事から強行で日帰りにせざるを得なかったりします。
それに準備も一大事。あまり物資がない出張先の地方町でジュリアが4日間不自由
しない様に、紙お むつや離乳食やミルクや飲用水などを大量に買い、それにベビー チェアや玩具も加え出発当日はそれこそ「これは引っ越し?」と思う位、凄い荷物!
一方、ベ ビーシッターさんは3泊するのにビニール袋2袋の軽装で、「え、それだ け?」を通り越して「そのビニール袋じゃ、まるであなたが難民みたいだから、
せめて このスポーツバッグに入れて~!」とお願いした位…。
そして3月3日の朝5時半にジュリア人生初の地方出張にいざ出陣!
まずはドリまで首都・ワガから300キロ弱、約3時間半のドライブ。
カーシート嫌いの ジュリアがぐずるのではないかと冷や冷やしましたが、以外にも
興味深そうに外の風景を見ながら前半はご機嫌。
後半は飽きてぐずり始めましたが、授乳したり ベビーシッターさんと変わりばんこに あやしている内に何とか目的地に到着~!
さすが「サヘル」というだけあり、暑いしターバンを頭に巻いた砂漠民っぽい人 達が 道を歩いています。
私はその足ですぐに始めのアポに直行し、ジュリア達は運転手さんに宿泊先である UNHCRのゲストハウスに連れて行って貰いまし た。
始めのアポ2つが終わると12時過ぎ。これから3時まではお昼休みで町も静まり返るの で、私も宿泊先に行くとジュリアは普通に遊んでいて一安心。
一 方、ベビーシッターさんは部屋のテレビの調子が悪いと言って、ちょっと不嫌…。 また、宿泊先にはレストランはないので、急遽従業員を捕まえて昼食を作っ て貰って 昼休みを終え、3時からは私は午後のアポに出かけました。
翌日、私は難民キャンプの訪問。2012年に勃発した隣国マリの北部での紛争から逃れ る為、ブルキナ北部にも約8万人の難民が国境を越えて逃げて来たの で、彼らの為に
急遽3つのキャンプが設けられ今日に至るまで運営されています。
その中で暮らす子ども達の為にもUNICEFは様々な支援をしているのです が、私が
担当する教育分野では、幼稚園と小学校と職業訓練コースを立ち上げて教育機会を提 供しています。
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メンタオ難民キャンプのアイシャちゃん。自分達で作ったパンを誇らしげに披露してくれました。 |
その学校やコースに通うマリ難民の子ども・若者達 とお話をすると、彼らの苦労が
垣間見えます。職業訓練のパン作りコースに通う18歳のアイシャちゃん曰く、
「2012年に紛争からここに逃げてきた当初 は、住居も食糧もなく本当に大変
だった。マリでは中学1年生だったけど、ブルキナに来てからは学校も諦めざるを
得なかったの。でも、この職業訓練コースが 始まって以来、私にも何かができるっ
て思える様になったし、食パンやケーキも作れる様になったから今後家族を養うの
に役立てると思うと嬉しいわ。」
一方、小学校6年生のアブドラマン君(16)は、「マリでは戦争が続いているから、
僕はブルキナに残りたい。将来学校の先生になりたいから、僕は勉強を続 けたいん だ。」と、打ち明けてくれました。
紛争という自分ではどうしようもできない外部要因で、母国や時に家族を離れなけ
ればいけなかったこの子ども達。 まだ紛争は続く中、いつ母国や家族の元に戻れる
かも未明。それでも希望を捨てずに頑張っている彼らは強いし偉いです。
そんな彼らが希望を持ち続けられる 様、これからも支援を続けられたらいいなと
思いました。
そんな難民キャンプの訪問後にドリの宿泊先に戻ると、相変わらずジュリアがあどけ なく遊んでいたのを見て、何故かホッとすると同時に、「この子も何があっても希望 を捨てない逞しい人間に育ってくれるといいな~」と思ったのでした。
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