2016年6月15日水曜日

♪リサ・クリスティン:現代奴隷の目撃写真♪ 


k

翻訳

                    ここはガーナの違法鉱山の地下50mです。 空気は熱気と埃で重苦し
     く息をするのさえ困難です 。暗闇の中を汗だくの男達が すり抜けて
     いくのを感じる以外何も見えません。 話し声が聞こえますが あとは
     男達が咳き込む 不快な音と 粗野な道具で石を切り出す音だけが 縦穴
     の中に満ちています
他の人と同じように 私は ちゃちな懐中電灯を ぼろぼろなゴム紐で頭
     に縛りつけています 何十メートルもの深さの 幅約1mの四角い穴の
     壁面には昇り降り用に滑りやすい木材が設置されていますが、それさ
     えも はっきりは見えません 。手が滑った瞬間 頭をよぎったのは 数日
     前に 手を滑らせて止めどもなく落下していった 鉱夫の姿でした。

     今 皆さんにお話している間も 男達は その穴の奥深くへと潜り報酬も
     補償もないまま 自らを危険に晒しています 命を落とすことも珍しく
     ありません。

     私は穴から這い上がり 家に帰れました しかし彼らは一生帰れません。 
     彼らは奴隷の身なのです。

     28年間に渡り 私は6大陸の 70カ国以上で先住民文化を記録してき
     ました 。そして 2009年にはバンクーバー平和サミットで 単独の展示
     を行う名誉を与えられました。 そこでお会いした多くのすばらしい
     人々の中に、現代の奴隷撲滅に献身的に取り組む NGO フリー・ザ・
     スレーブ の支援者がいました。 
     私達は奴隷問題について話を始めました 。
     それから奴隷問題を学び始めました。 世界にこの問題があることは
     知っていましたが そこまで深くは知りませんでした 。
     話を終えて私は自己嫌悪に陥りました。自分が生きている時代に 起
     きている残虐行為について 無知な自分を恥ずかしく思いました。
     そして 自分が知らないのなら 他にも 知らない人は大勢いるはずだと
     思いました。胃に穴があくほど思いは強まり 数週間後には 私はロサ
     ンゼルスに飛び フリー・ザ・スレーブの役員に手伝いを申し出ました。

     そうして 私は現代の奴隷の旅を始めたのです。
     奇妙なことに行き先は前にも訪れた場所です。 幾つかは第二の故郷と
     思っていた場所です。
     
     しかし今回は隠された事実に 直面することになりました。
     控え目な推定でも 現在世界では 2千7百万人以上の人々が奴隷として
     扱われています。この数字は大西洋横断奴隷貿易時代に アフリカから
     移送された人の倍です。
     150年前 農場に送り込まれた 奴隷の値段はアメリカ人労働者の 年収の
     3年分でした。 現在の貨幣価値ならば約5万ドルです。
     ところが今日では わずか18ドル程度の借金のせいで 一家族が何世代に
     も渡って奴隷になってしまうのです。 驚くべきことに奴隷制度は世界
     全体で 年間130億ドル以上の利益を生み出しています。

     奴隷の多くは良い教育や仕事等の 嘘の約束にだまされた人々で 報酬
     もなく暴力に怯えながら逃げ出せない状況で労働を強いられています。
     今日の奴隷を駆り立てるのは商業です。 奴隷扱いされる人々が作る
     商品には価値がありますが 商品を作る人々は使い捨てです。
     奴隷制度は世界中どこでも違法ですが 奴隷は世界中至る所に存在し
     ます。

      インドとネパールでレンガを焼く窯を訪れました。 
     その奇妙で恐ろしい景色はあたかも 古代エジプトかダンテの地獄篇に
      足を踏み入れたようでした。 気温50℃を超す現場では 男 女 子供を含
     めた家族全員が 埃まみれになりながら 頭の上に機械的にレンガを載せ
     ていました。 多い時には18個も載せて 焼け付く窯から 数百メートル離
     れたトラックまで運ぶのです 単調さと疲労のため 彼らは物言わず黙々
     と一日16~17時間 この作業を繰返すのです。 食事や飲み水の休憩すら
     ありません。 皆 重度の脱水症状を起こし 放尿すらままなりません。
     あまりの暑さと埃のため 私のカメラは触れない程熱くなり 動かなくな
     りました。 私は20分おきに車に駆け戻っては自分の 機材の埃を掃いエ
     アコンにあてて甦らせました 。そうしている間に自分のカメラの方が 
     あの人々よりも余程ましな扱いを受けていることに 気づきました。

     窯に戻ると泣出したい気持ちでした 。すると隣の廃止活動家が 私をつ
     かんで言いました 。“泣かないで ここで泣いちゃだめだ” 彼が明言した
     のはこの様な場所で 感情を表現すると私のみならず彼らにも大変危険
     だということでした 。私が直接 彼らを助けることはできません
     お金を与えることも 何もできません。 私はその国の人間ではありませ
     ん。 私が 彼らを今よりさらにひどい状況に 追い込んでしまう可能性が
     ありました。 フリー・ザ・スレーブがその活動を通して 彼らを解放し
     てくれるのを信じました 。
     彼らならばきっとやってくれると思いました。
     私は家に帰るまで 自分の気持ちが張り裂けるのを我慢しました。

     ヒマラヤでは子供たちが石を背負ってふもとの道で待っているトラッ
     クまで 山岳地帯を何キロも運ぶのを見ました。大きな石板の重さは 担
     いでいる子供たち以上でした。 棒とロープと布で作った 手作りのハー
     ネスで 石を頭から 吊り下げていました。
     これほどの衝撃的な現場を 目撃するのは辛いことです。 
     ここまで横行する悪行にどうやって立ち向かえるでしょうか? 
     報酬もなく一日 16~17時間も働かされているのに 中には自分が奴隷だ
     と知らない人さえいます。生まれた時から同じ状況だからです 他と比
     べようがないのです。このような村人が自由を主張したら奴隷所有者
     は彼らの家を焼き払ってしまいました。 彼らには何もなかったのです。
      彼らは恐れるあまり あきらめていました。しかし中央の女性は自分た
     ちの ために立ち上がり耐え抜きました。そして現地の廃止活動家の支
     援を受け採掘権を獲得しました。
     今でも同じ過酷な仕事ですが 自分たちのために働き報酬を得ることが
     できるのです。 そして何より自由の身です
     
     奴隷という言葉を聞けば 性の不正売買を連想するほど 世界中に知れ渡
     っています。この業界を取材する際には 身の安全を保証できないと忠
     告されました。

     カトマンズでは以前に性の奴隷を 経験した女性たちに付き添ってもら
     いました 。案内された狭い階段は薄暗い蛍光灯が照らす汚い地階に続
     いていました。 いわゆる売春宿ではなく どちらかと言えばレストラン
     です。業界ではキャビン・レストランと呼ばれる 強制売春の温床です。
     それぞれに小さな個室があり 奴隷の身の女性は ― 少女や少年や7歳の
     子さえいるのですが ― ―  ― 客に料理や酒をたくさん注文させながら
     客の相手をしなければなりません。 部屋は薄暗く汚れています 壁に
     識別用の番号があり ベニヤ板とカーテンで仕切られています。
     客の手による 悲劇的な性的暴行に 耐えなければならないこともありま
     す。ほぼ暗闇の中に立っていると 瞬時に激しい恐怖が湧き上がりまし
     た。あの地獄に囚われた身を 想像するだけで身の毛がよだちます。
     出口は一か所しかありません 。入ってきた階段です。
     裏口はありません。抜け出せるほど大きな窓もありませんでした。 
     この人たちに逃げ道は全くないのです。
     この厳しい状況に触れると同時に 性の不正売買を含めた奴隷取引が私
     たちの裏庭でも行われていることを お伝えしなければなりません。

     何万人もの人々が農園 レストラン 家事等の 様々な労働を強制されて
     います。
     最近のニューヨークタイムズ紙の報道によると 毎年10~30万人のアメ
     リカ人の子供が性の奴隷として売買されています。
     我々の身近にあるのです ただ目にしないだけです

     繊維業もまた強制労働で連想する業種です。インドの村では家族全員
     が絹取引で 奴隷扱いされている様子を見ました。これは家族の写真
     です。黒く染まった手が父親で青と赤の手が息子たちです。
      彼らは大きな樽で染料をかき混ぜ 絹を液体の中に肘の深さまで沈めま
     すが染料は有毒です。
   通訳が彼らの物語を伝えてくれました。“僕らに自由はない” と彼らは
   言いました “でも いつかは ここを出て 染物をして稼げる場所に行き
   たいんだ” と

   4千人を超える子供たちが 世界最大の人造湖 ヴォルタ湖で奴隷になっ
   ていると言われています。 初めて訪れた際に 私は様子を見に行きま
   した。 船から魚を取っているのは家族だと思いました 。
   2人のお兄さんと弟たちに見えませんか?
    いいえ 彼らはみんな奴隷でした。子供たちは家族から取り上げられ
    売買されて姿を消すのです。そして このような船での 長時間労働を
   強いられます。しかも彼らは泳げません。
   この子は8歳です。 私達のボートが近づくと震えていました。
   彼の小さなカヌーに衝突すると思ったのです。
   水中に突き落とされることを怖がっていたのです。
   ヴォルタ湖に水没した木々によく漁網が絡みます ヴォルタ湖に水没し
   た木々によく漁網が絡みます。すると網を外すために怖がっている子   
   供たちを 水の中に放り込みます 多くが溺れます

   この青年は物心ついたときから 強制労働を強いられています。
   主人が恐ろしくて逃げ出せません。
   彼はこれまでずっと 残忍な扱いを受けてきたので 仕切っている年下
   の奴隷たちを同じように扱います。
   
   彼らに出会ったのは朝5時です 。最後の漁網を引き揚げている所で
   した。 冷たい風が吹く夜中の1時から働きづめでした 。冷たい風が
   吹く夜中の1時から働きづめでした 。
   しかも 大漁だと漁網は 500キロ以上の重さになります

   コフィを紹介します コフィは漁村から救出されました。 彼に出会っ
   たのはフリー・ザ・スレーブの 奴隷被害者リハビリ施設でした。
   井戸で入浴している所です。大きなバケツで頭から水を浴びていまし
   た。すばらしいことに こうしてお話ししている今まさに コフィは家
   族と共にいます 。さらに良いことに彼の家族には 生活の糧となり子
   供たちの安全を守る 道具が支給されました。 コフィは可能性の象徴
   です。 立ち上がった人物がいたおかげで 彼の人生は変わりました

   ガーナの道をフリー・ザ・スレーブの スタッフと一緒に車で走って
   いた時 突然バイクに乗った廃止活動家が 我々の車に近づき窓を叩き
   指示しました。 ジャングルに続く泥道を先導するから付いてこいと
   道の行き止まりで我々をクルマから降ろすと 彼は運転手に立ち去る
   よう言いました。それから 彼は道なき道を指さして言いました。
   “この道だ この道を行け” と 道を遮る植物をかき分けて約1時間進む
   と 小道は最近の雨で完全に水に浸かっていました 。
   そこで私は写真用機材を頭の上に持ち上げ 胸まで水に浸かりながら
   進みました。 更に歩くこと2時間 曲がりくねった小道は突然終わり
   目の前に サッカー場ほどの 穴だらけの採掘場が広がりました。
   穴の中では 大勢の奴隷が働いていました 。女性の多くは子供を背中
   に背負ったまま 金を選鉱していました。
   足が浸かっている水は水銀で汚染されています。 採取工程で水銀が
   使われるのです。

   こちらの鉱夫たちはガーナの 別の地域の鉱山で働く奴隷です。
   縦穴から出てくる時 彼らは汗でびっしょりです。
   彼らの疲れ果てて充血した眼を思い出します。
   彼らの多くは72時間も地下に潜ったままでした。
    縦穴の深さは90mあります。 彼らは重い石が入った袋を 外に運び出
   します。 次にその石は 別の場所に運ばれて砕かれ金が採取されます。

   一見 力持ちの男達が大勢いるように見えますが すぐに崖っぷちな状
   態に置かれた 不幸な人々であることに気づきます。
   そして子供もいます。 彼らは怪我 病気 そして暴力の被害者です。
    実際このとても筋肉質な人ですら あと数年で結核と水銀中毒のせい
   で こうなってしまう危険が高いのです

   彼はマヌルといいます。父親が死んだ時に 叔父が彼を 自分が働く鉱
   山に売りました。叔父が死ぬと 叔父の借金を背負わされました 。
   そして彼は 鉱山の奴隷労働から 逃れられなくなりました 。
   この時 彼は14年も鉱山で働いていました。
    足の怪我は採掘中の事故のせいです。  かなりの重傷で 医師は 切断
   すべきだと言いました。しかもマヌルは結核にかかっています。
   それでも彼は連日 縦穴での作業を 強いられています

   それでも彼は いつの日か フリー・ザ・スレーブ等の活動家の援助を
   得て 自由の身になり教育を受けることを夢見ています。
   絶望的な状況に置かれながらも 希望を捨てない人々を見ると 私の胸
   は 畏敬の念にあふれます。

   奴隷問題に光を当てたいと思います。
   現地で作業する際に ろうそくをたくさん持っていきました。
    通訳に助けてもらいながら 撮影した人たちに分け与え 彼らの物語
   と窮状に光を当てたいと思いました。 彼らと私の安全が確認でき
   た時に 撮影した写真です。 彼らは自分たちの写真が世界中の 人々
   に見られるのを知っています。 私は彼らに伝えようと思いました 。
   私達が彼らの目撃者となり 彼らの人生を 変えるためにできる限り
   の手を尽くすと 私は本当に信じているのです。
   私たちがお互いを同じ人間として 見ることができれば 奴隷のよう
   な残虐行為はなくなると 写真に映っているのは社会問題ではなく
   私たちと同じ生きている人間です。
   権利 尊厳 そして尊敬に値する人々です。
   私が光栄にも出会うことができ虐げられた大勢の素晴らしい人々
   のことを 一日たりとも忘れることはありません

   これらの写真が あなた方のような見る人々の力を呼び起こし その
   力が結集して火となり その燃え盛る火が奴隷問題に 光を当てるこ
   とを願います。 その光がなければ束縛という野獣は 闇の中で生き
   続けます。

   たいへんありがとうございました。

0 件のコメント:

コメントを投稿